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2005.03.30

将門、走れメルス等

この間、友達と偶然出会い、友達は走れメルスを見て、将門をみてない、私は、将門をみてスルメをみてない、ってので、お茶しました。
二人とも、去年以来で、一番印象が残ってるのは「SHIRO」だった。
で、会話。
相方「将門どだった?」
kuma「うーん、おいらは70年代ひきづってんなら、もうちょい、なんとかしてほしい、ものたりない」
「で、どだった、メルス?」
相方「うーん、やっぱし、あつかってる時代が古いって思ってた」
kuma「でもさ、野田さんとか、蜷川さんだと、緊張してみるよね。あれ、なんだろう、とか思っても、なんか深い意味があるってみてしまってるよね~」
相方「そうそう、なんか、きちっと椅子に座って見る感じ」
共通「知らない作者、演出家で、なんだこれっって見て、え、えっ、これ何でこんなに面白いの、惹かれるのって芝居が見たいよね」「そうそう、黒澤明だって、最初は、娯楽映画つくる人だと思ってたよね^^;」
相方「夢」あたりから芸術家になったら面白くなくなったよね」
kuma「私はいつごろからみなくなったろ?」

と会話を終わる。

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2005.03.29

消費社会

すごいことが実現してるもんだと、「オレ様化する子どもたち」を読んであらためて感じた。こういう風に書いてくれないと私の頭は整理されない。
「今、国民が、政府に反対して、何も物を買わないというストライキをしたら、政府はもたないであろう」とは、吉本ばななのおとっつぁんが書いていた。これとつながった(^^ゞ
演出家の坂手洋二さん(ほんとは、役者もやってたらしい(^^ゞ@「だるまさんがころんだ」でどこかの賞をもらってはります)が「90年代からの人たちって、総じて冷静でいい面もあるんだけど、自分が自分であるだけで自分の世界があるって、、、思う面があるんですね」と松岡洋子さんとの対談で話しているがそのとおりのことが実現されたのだと思う(「旬の演劇をつくる10人」@あずき)。
お金を払って買う、売る、対等な社会、個人と個人がバラバラにであう。でも、そのとき、売り買いのルールはルールとして意識されてなくて、私の意思で、売る、買うということが実現されていると思っている子供たち。
しかも、お金は、いくら持っているかで差がつく。(ま、偏差値で輪切りされてるって子どもの場合思って下さいな〜)。まったく平等、しかも、差がついている。これを体感してたら、しらけ=お金、能力がないんだから=ともなろうし、差以外のことを無視すれば、対等=教師も生徒も対等=てことになってるんだ。
社会=共同社会とは切り離されたばらばらの個人だ。自分と世間の「ずれ」を感じたくない子は社会にでない=引きこもる=もんな(^^ゞ

「旬の10人」の中で、永井愛さんが、「普通ってことは、社会問題の影響が無いわけではない」と言っているように、普通の生活の中に、社会の影響を感じ取れるってのが、重要だと思うんだけど。
愛さん、普通がいやで、最新のファッションしたり、前衛劇をやったりしたけど、30才になって「私と静(大石)が誓い合ったことは、「私たち普通だね。もう無理するのはよそう」でした」と言っていることは、またの機会に。

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オレ様化する子どもたち

私なりに考えれば、たとえば、新幹線の車内でお弁当をたべる、しかし、たとえば、地下鉄、山手線で、弁当をたべるという風に変わったくらいの変化が、さきに、子供に現れているということだろうと思う。
新幹線で、弁当を食べるが、これを山の手線、地下鉄にのりながらたべたらあかんか、注意するかといわれれば、うーーんと考える。注意を受けた方は、なんで、お前から言われなあかんね、と思うであろう。(でも、私には、現在、地下鉄で食事はだめだという感覚はある。)
で、私は、地下鉄、山手線での食事を無視すればいいが、学校の子供が、このような状態になっているのに、教育せねばならない、としたら、それは大変なことだな〜と思う。
そういえば、いつ頃からか、JR車内で、大きめの手鏡を相手に、口紅は塗る、化粧はするって女性を見かけるようになった。最近は、普通のような気がする(^^ゞ
今日は、マクドナルドでならんでいたら、前のおばさんが、広告のチラシをもってきて、ハンバー久クの安売りのチラシの中のマックセットの安売りのところを、店員さんに切らしていた。えっそんなのよそでやってこいよ。無駄な時間をとらすなよ、と思う。子どもであれ、会社の社長であれ、国会議員であれ、マクドナルドが食べたいと思ったら並んで購入せねばならない(代わりに行ってくれる人がいれば別)。

で、これは、消費社会がもたらしたものである。私たちは、お金をもってコンビニにいけば、一人前の消費者として扱われる。コンビニの店員とは対等である。子供たちは、こういう消費社会を満喫しており、一人前だという感覚を持っている。
なにが足りないのか、地下鉄で弁当を食べるのはおかしい(という共同体の暗黙のルール)という感覚がないのだ。
自己のルールとみんなのルールがずれていることがわからない。このルールの教えがたさに、難しさがある。農村社会では、周りの目を気にするというのがあった、つかの間訪れた産業社会でも、農業社会の残滓があった。一人前になるまで修行があった。でも、実現した消費社会は、お金があれば、買うという行為により、一人前として扱われるという社会が出現し、これを体感している子供がいる。
これが崩壊した学級の子供だ、と、私なりに要約すれば、こうなるか(^^ゞ

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2005.03.28

オレ様化する子どもたち

諏訪哲二著@中公新書ラクレ
学級崩壊の原因は、共同体的伝統から切り離され、市民主義化した日本社会=消費社会が、反映されているのだ、結局、親が学ばなければ社会で生きていけない、と教えてくれる環境=文化資本をもった子だけが、崩壊とは関係なく生きていける、というのが結論。
引用されている「臨界点を超えた子どもたち」@週刊朝日のA先生、「ケン玉や読書などさまざまなジャンルで、一人一人がチャンピオンになろう」と最初一年は、歌を指導していた学級がつぎの年に崩壊する。
学校は、「こどもを個として尊重する」といいながら学校は基本的に「市民社会での生活できる技術を伝達する」という場である。やっていることと言ってることが違うと子供が感じて崩壊につながったと指摘する。
学校ー親だけではなく、家庭ー学校ー社会があるのだから、学校(先生)、親だけの責任ではない、社会構造の変化が、崩壊をもたらしているという見方が面白かった。
子供は自分が思っていることは、みんなが思っている=これがオレ様化=こういう社会になっているとのことである。だから授業中の私語を注意されると「うるさぃなぁ、おれは、じゃまになってないだろうが」と反論してくる。これってインターネットの大衆化と似てるな〜。みんながブログをつくり、なかには、写真、著作の無断転載など、著作権に問題あるwebもあるが、それを指摘されると、「web荒らし」のように非難がでているという、そう変わらないよね(^^ゞ。

で、後気になったのが1970年代を契機に社会が変わり、1980年代に学級崩壊が出現したという点。
日本って、西洋のキリスト教が背景にある技術・哲学を、キリスト教抜きで移入し、発展させた実権の国だと思う。個人がばらばらであるってのを徹底的にやりすぎた、じつは、この点に関してだけは先進国ではないだろうか?
なんか、共同社会(たとえば、教会を中心にしたり、血縁を中心にしたりとかの)が崩れてしまった社会だと思う。
野田宣夫が、どこかで、ロシア、中国は、他民族をまとめて国を作るノウハウを持っている国でだと言っていたが、これとつながるかな(^^ゞ
もう一回読み直そう(^^ゞ

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母音発声練習

お風呂で、やり出しました。なんと、これがおもしろい。(ってこの文章母音だけに直してみてね(^^ゞ)。うまくできると、母音だけでも、会話できそうで面白い。って面白がってるのは私だけで(笑)。
で、気が付いたのが、音楽やってる人には当然のことでしょうが、ボイストレーニングって概念が日本にはない。新劇でもほんとは、ないんやないやろうか。伝統芸能だって、ただ、大きな声をだせって言うばかりで、後は、なんの指示もない。
というか、日本では、話すことは訓練してこなかった。だって、読み書き算盤だもんね。声だけじゃなく、話すってことはどこにもない(--;)
昭和天皇が、ある婦人総会(愛国なんとかかんとか)で、挨拶ができなかったってもの丸谷才一がどこかで書いていた。スピーチに、専属のスピーチライターを置いている国とはちがいますな〜(--;)
で、私は、一対一のときは(互いに会話しながらは)、話やすいんだけど、10人を越える人に一方的に話すのは苦手なんだ。なにかのおり、自己紹介ってのをよくさせられていた時期に、自分の紹介分を3つくらい用意しておいて場の雰囲気に合わせてしゃべれ、ってアドバイスを受けたけど、それでも苦手なんだ。
会話しながらだと、いんだけどね。会話だと、相手の理解レベルと己の理解レベルの齟齬がないんだけど、一方的に話すときは、あれ、私の話はどこまで理解してもらってるんだろうか、あの人は、この人はって、考えだすと、不安で(--;)。狂言のときは、絶対子供でも、大人でもおもしろいぞってのがあるから、いいんだけど。
子供と大人がなぜ同時に楽しめるかは、項をあらためて(^^ゞ

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2005.03.26

邯鄲

シンクロニティ(共時性)なんてことを久しぶりに思い出したら、今日の「羽衣」@謡の稽古で、「のうそのころもは、って、ちゃんと、口をあけて謡わないとあかんやろ」って注意されるし、「邯鄲」のシテ謡いの「めぐるやさかずきの♪」は、「め・ぐ・る・や、、、」って謡わないとと注意される。
で、喫茶店で「時の光の中で」@浅利慶太@文芸春秋読んでたら、劇団四季の発声訓練は、一音一音をはっきり発音し、客席にとどけるために、母音だけで発声する訓練をしてるって書いてある。
で、「のうそのころもは」を母音に直して「お・う・お・お・お・お・あ♪」と発声練習してみる。うーん、「お」が多い、謡いだったんだ(^^ゞ。
邯鄲は、羽根扇するところがあるんだけど「ずっと、扇は動いていなければ」と注意され、師匠がやって見せてくれる。師匠きれいですね、扇の使い方!って誉めたくなる(^^ゞ。今日は全然足が動かなくて、なんでだろ、なんでだろ、状態。右からださなきゃいけない足が左からでたり、つぎどっちからだっけと迷ったり。なんか変、今日は。
それと、謡と動作を併せるのは、動作が終了し、次の動作が始まるところを「要領よく」間を空けたり、のばしたりしてやるんだ、と教わる。謡いがたりないので、途中から急いで歩いたり、のびてるので、そこだけゆっくり歩くのはいけないんだ、なるほど。と、感心。

「時の光の中で」では、佐藤首相退陣の際の、TVだけの会見の裏話とか、小澤征爾のN響との事件(N響団員が小澤の指揮を拒否)の解決の裏話とかがある。やっぱり仕切りは必要なんだと思う。N響の事件を、N響団員対生意気な小澤っていう構図から、NHK巨大組織対小澤いじめという構図にもっていって解決する。演出ってのはこういうときに必要ですな〜。
離婚事件で「家事も育児もできなかった妻」って構図から「義母が取り仕切っていて育児も家事もさせなかった」とい構図をつくり、争うってのと似てるか(ちがうか(^^ゞ)。

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2005.03.25

スクリーンの中の戦争

坂本多加雄著 文春新書 著者は、1950生〜2002年没の政治学者
取り上げられている映画は、パールハーバー、トラ・トラ・トラ!、太陽の帝国、タクシードライバー、地獄の黙示録、エマニュエル夫人、タクシドライバー、明治天皇と日露大戦争、真空地帯、拝啓天皇陛下殿、陸軍、破れ太鼓、東京物語。
私のツボは「明治天皇と日露大戦争」これ子供のころ見たんだ。嵐寛寿郎が明治天皇。このころの映画って3本立てだったんだ、勿論、入れ替えなし。日本人の記憶としての日露戦争が描かれているとあり、そうだ、私の日露戦争のイメージはこの映画でつくったんだと納得。その後、明石元二郎のロシア革命派への資金援助などの裏工作等は後で得た知識だし。1957年作とあるから、戦後民主主義とかいってるとき、私らはこの映画に浮かれていたんだ。でも、この映画で、新東宝は、息を吹き返すほどの収入があったんだって。
拝啓天皇陛下の渥美清も、後の寅さんにない、すごみがあった、寅さんは善良そうだけど、すごんだらこわいんだよ、って寅さんがいた。
地獄の黙示録、前半は、アクションドラマだけど、後半は退屈だとか、私がみた映画の感想は、当時の感想をうまく言い当てられたようで、読んでいてうれしい。
で、本書の4分の1ほどで書かれている「太陽の帝国」(これ日の丸の国旗=日本のこと)が絶賛されていたので、みてないので、DVDを注文する。
パールハーバーは愚作で、タイタニックの二番煎じで、アメリカ映画は、もうかりゃいいやってなとこがあると酷評されている。
子供のころは映画全盛で、白黒映画が、総天然色(という呼び名だった(^^ゞ)に代わり、四角い画面が横長の画面にかわった(シネマスコープっていった(^^ゞ)のも覚えている。今人口5万程度の市(当時はもっと人口がすくなかった)に3つも映画館があったんだ(笑)。しばらくして、中村錦之介とか、東千代ノ介とかもはやっていたけど、そのころはTVの移行期だったんだ(--;)。娯楽って映画しかなかったんとちがうかな。お袋のお金をくすねて、映画をみにいった(笑)。
解説を書いてる坂本さんのお弟子さんが、坂本さんが、「オッケーや、オッケーやね」とか森繁久弥@小早川家の秋のものまねをしてる姿が書かれている。舞台をみたあと、その台詞を言い合ってあそんでいる私らみたい、そうだよな〜と。

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2005.03.23

瀬戸内海にイルカ

ニュースによると、「21日午後4時ごろ、広島県呉市、、、、、瀬戸内海で、、、、、、「くれかぜ」の乗組員が約200匹のイルカの群れに遭遇し」とあった。「子午線の祀り」の壇の浦の戦いに、イルカが、出現し、源平の船の下を泳いでゆくってな場面があって、そこは、リアルじゃないよなぁ、幻影か、なんて位に思っていたので、あ、これってリアルだったんだと、今頃、自分の頭を訂正してます(^^ゞ
しばらく禁酒してるんだけど、10日になるんだけど、昨日、寿司屋に行って「ノンアルコールビール」を注文し、頼んだら、来たので、飲んだら、「ノン」じゃないビールだった。知り合いの大将に騙された(^^ゞ。きゃつは、ちゅうと半端に思いつきで禁酒してるのを知ってるのか(笑)

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2005.03.21

ロングエンゲージメント

気になってもう一回見に行きました。人物が多少複雑でして、あれぇ〜ってのがあったもんで。でも、よくできた映画でした。
ヒロインが少女のころ恋人から最初にかけられた言葉が、記憶喪失になった恋人に会いに行ったヒロインにかける言葉と一緒だったり、郵便配達員が、家に郵便を配達にくるのに砂利を蹴散らしたり、砂利がなくなったので転んだり、最重要な手紙を届けるときは、家の中まで、自転車で入り込むとか。
出てくる女優さんもみな魅力的だったし。。。恋人の死を聞いたヒロインが涙を流さないので、叔父が話しかける言葉がしゃれてたり「話したらどうだ、言葉は涙の堰をやぶる」(たぶん本当の台詞はちがうのですが、うろおぼえです)とか。で、この場面を印象つけておいて、ヒロインが涙を流すのはラストで、ヒロインが恋人に会うまでとってあるとか。
戦場のシーン、パリの戦後の闇市状態、1920年代風の建物、汽車、駅とか、もよかったし。

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2005.03.20

ロング・エンゲージメント

第一次世界大戦、徴兵されたフランス兵マネクは、兵役をのがれるために、自分で自分の手を銃で打つ。自作自演であることがバレ、同じようなことをした4人とともに「死刑」を宣告される。死刑するのもいやな上司は、ドイツ兵の塹壕と、フランス兵の塹壕の中間地帯にほうりだす。その後、独・仏の戦闘があって、当然5人は死んだと考えられた。マネクの恋人のマチルダは、マネクの生を信じマネクの情報を集める。で、というサスペンスドラマ(もちろん、フランス映画ですから、おみだらな場面もありますが(^^ゞ)。死刑の恩赦があったことを、握りつぶす、上司(この人、スターリンに似てた^^;)、5人の遺品には、それぞれ、暗号らしきものが埋め込まれており、とか。最後まで、あきさせない展開。マチルダは、小児マヒで片足がわるく、恋人の生を信じて、粘り強く、当時の状況を聞きだし、謎を解いてゆく。映画は、「ドッグウィル」(ニコール・キッドマン主演)の映画のような味わいで、西洋人の知性のねばりづよさを感じる。マチルダは、足が悪いという設定で自分が積極的に動けないので、その分、推理するって方に重点が行く、これがうまい。第一次世界大戦後のフランスの死刑に、ギロチンが使用されていたことにびっくり。え、フランス革命、人権はどうなってるんだ!
この間、大連を舞台にしたお芝居をみたので、大連の観光案内を購入してたら、大連は「アジアのパリ」って言われていたって書かれてるんだけど??ってな感じだった。映画のパリをみると、お芝居当時の大連そっくりで、??は解決しました。第一次世界大戦、チャップリンの「独裁者」で見て、うそだろうって思ってました。鉄砲、大砲、で、しかも、飛行機は、トンボ型。塹壕の中で闘っている。この映画でも、そのとおりでした。

戦場のピアニストより、こちらがいいな~。

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2005.03.19

今日は、講義だ^^;

昼からのお出かけはこれだ。
ときどき、講義を頼まれる。で、断っておけばいいのに、ま、勉強のためにって引き受ける。で、これが本当の勉強になってしまって、本かってきて、まとめて、レポートつくってと学生さんの勉強みたいになってしまう。
テーマが同じだと、同じ話を何回かすればいいんだけど、頼まれるテーマは、そのつど、異なるからな~。
で、終わったら、もう引き受けるのをやめよう、と思う。そのうち、最近、勉強してないから、これを機会に勉強すっか、と頼まれる、の、繰り返し。
で、今日頼まれているのが、「医療事件」。本代つかって、回収できるのかって、位の本を読んだけどしゃべるネタになるのはね~、ほんのすこしだけ、あ、あ~。まー、今日は、自由参加だから、まだいいか。役所が義務的に研修やるってんで、集められた客(まー受講生ですな~)は、ほんと、冗談いっても、笑ってくれないから、ほんとやりにくい。質問時間で、質問もでやしない。えっ、もうサクラで、質問する人、作っておくのが常識でしょうが(ってちがうか^^;)。
で、準備するので、仕事が滞ってしまった。
狂言稽古して、舞台見せてるほうがよっぽど楽だぞー~(大爆)。
あー映画が見たい、舞台が見たい、、、、、、、、、。ちがう本が読みたい、、と連休一日が消えてゆく(;_;)

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2005.03.16

邯鄲、田村

久しぶりに仕事で遠方まで出かける。こんどの舞台は、仕舞が「邯鄲」、謡が「羽衣」(シテ)なので、師匠から吹き込んでもらっているテープをもってでかける。で、行き返り5時間もあれば、文句も覚えた。仕舞は、ここ2ヶ月はならってるので、もっと早く文句を覚えとくんだった。テープをうしなえたんだとばかり思ってたのがいかんかった。で、邯鄲、仕舞に子方ってあるので、「おいらがまってるのは、子方が舞っているのかい??うん、うん??明日しらべよっと。邯鄲まだ、舞台みたこっとないからな~。羽衣は、台詞の部分が多くって、謡の声をきかせるところがないなぁ~などと生意気なことを考える。最初の一声が「のうそのころもは、こなた(私)のにて候」ってんだけど、この「のう」ってよびかけは、「おい、こら」っていう意味だそうで、天女の品位でもって「こら」って下品な呼びかけをしなきゃいけないんだ(^^ゞ。まー竹中直人の笑いながら怒るってな芸で、通り抜けよう(笑)

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2005.03.12

デモクラシー

滋賀公演
西ドイツ首相で、東西ドイツ統合のきっかけをつくった、ブラント首相(加賀丈史)。その首相の秘書として使えたギョーム(市村正親)が実は、東ドイツのスパイだったという実話を元にしたフィクション劇。劇では、ギョームと連絡をとるスパイの上司(今村朋彦)、ブラントの内閣、党のメンバー。首相担当大臣(近藤芳正)、党院内総務(藤木孝)、副党首(三浦浩一)など出演者は男性ばかり。
権謀・術数をつかう、政治の力学。東西ドイツ統合のために粘りつよく政策を実現してゆくブラント。かれの政策に共鳴し、彼を尊敬するギョーム。でも、最後は、女性スキャンダルと、スパイの発覚で、首相を辞任するブラント。欝になったり、立派な演説をしたり、加賀さんセクシーだったし、市村さんは、愛嬌のある秘書を演じている。それと、ブラントを嫌いながらも、東ドイツと内通している総務(藤木)が、首相を支持するために工作したり、失脚するために工作したりしてマキャベリー的人格をうまく演じてたし、担当大臣(近藤)は、ブラントの参謀役をうまく演じてました。

で、こういう芝居をみると、日本の芝居にない、ドラマを感じます。政治が、ほんと、人々=市民が関心をもって活動してるんだなぁ、その政治がドラマをもっているってとこに感動します。
しかし、1970年代、カルチェラタンの時代を背景に、ヨーロッパに社会民主党政権が誕生するのに、日本では??なぜ、自民党が。実は、自民党は社会民主的政策をとっていた、たとえば、労働者を解雇するのを制限することをまもったし、福祉も実現したし、、、、。だからだってのを、大嶽秀雄がどこかで分析してたのを感心して読んだ記憶がある。
西ドイツでは、たえず、東ドイツ=ロシアから侵略されないかと、感じていきてたんだろうなと思うし、今の韓国もそうじゃないかと思う。日本は、どこかから侵略されるってことを考えないでこれたんだと日本のよさを再認識。
そうそう、ドラマの中で、東ドイツの政治犯を、お金を出して、西ドイツが釈放するって話がでてくる。でも、現実的に一歩前進するために、こういう政策を選択するってのにも感動する。日本じゃ、きっと、非難がですよね(^^ゞ

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寄席の世界

小沢昭一著@朝日新聞社
米朝、子金治、談志、鶴瓶、、、などとの対談。
米朝師匠との対談、年取るとできなくなる落語がある、とか、志ん生と文楽の落語の違いとか、観客が、同じ場所にずっと座ってるのがつらいので、独演会ではなく一席で十分じゃないかの話が面白かった。私は、能を見に行くとき、能、狂言、能とあるとき、狂言と、最初か、最後の能をみるだけで、3番みるのはつらい。やっぱり、観客の体力が昔と違ってきているのだと思う。矢野さんとの対談で、小沢「広い小屋で芝居するのと、狭い小屋で芝居するのはちがう」「広い小屋で、こまかいことやってもわかんないもん」ってのに納得。SHIRO@新感線なんか広い舞台でやらないと、また、「円生と志ん生」は狭い小屋じゃないと、ってのがありますもんね。
関西の噺家さんは、200名いて、噺家さんの数は増えてるそうです。伝統芸能の能のシテ方も1200名くらいはいはるから、昔より増えている。でも、落語は、いままで、5回以下ですね。生で聞いたのは。

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田村

2日ばかりの付け刃の自主稽古で稽古にいったものだから、調子がとれない(^^ゞ
「ここは強吟やから、あらけなく謡わないと。。。」師「あらけない声はあってるんやから。。。」うーん、そうだったんだ。
で、やはり謡は自主稽古していかないとあかん、声ができあがってない。できあがるちゅうのは、毎日舞台でてる役者さんが声がかすれてる状態ににてるかな(^^ゞで、さぼりすぎたし、また、さぼるかもしれんので、舞台は「田村」ではなく「羽衣」にきまる。がんばります。
仕舞は、手に力がはいったりしてる、師匠みたいに、ふっと手を出してそれで決まってるちゅうところを見習いたい。師匠が一緒に動いてくれてはるから何とかなってるけど、ひとりでってなると、できるかな??

「膏薬練」@狂言は、いよいよ、こまかな動作のチェックがはいってくる。半歩ひいて体を半身にして台詞を言うところとか、指折るところの指定とか、うーん、チェック状態を抱えて、金縛り状態。これは、相方がぎっくり腰で、入院したので、舞台にかけるのが伸びたので、たっぷり稽古できそう(^^ゞ

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2005.03.09

能の大衆性

今週の土曜日に謡の稽古がある。だいぶ休んだので、声ならしに、「田村」をうなる。清水寺の童子が、えらく詳しいので、僧が「あんたはだれや」と聞くと、童子は「名前はしらない、かえって行く方をみててね」って消えて行く方をみると、坂の上にある「田村堂」の中に入っていった。(おお、坂の上の田村麻呂だ!)ってなとこがあって、あれ、「屋島」にもあるぞ。塩汲みのじーさんに、僧が「あんたの名前は」と聞くと、じーさんが「まだ名乗れない、名乗らずともよし、常の夢をさますな」。「おおよし常(義経)」ってなとこがある。モー最初から、あんたは田村麻呂、義経ってわかってはいるのに、ほのめかして去る。いいな~、大衆演劇はって思ってしまう(^^ゞこのあたり、なんだか、茶番なんだけど、え、え、って、おもしろい。

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眠ること

今日、うつ病で入院していたという人と昼ご飯を一緒した。入院中は、眠れない人は睡眠剤をもらうが、もらった人が、夜、飲んでも寝られないので、集まっている、それでも、眠れないので2回目の睡眠剤をもらうのだそうである。
で、睡眠剤を飲んで、夜途中で目がさめたときは、意識はもうろうとしており、体の自由が利かず、たとえば、トイレに行くのが大変なのだそうである。そういえば、「精神科治療の覚え書き」(中井久夫著)に統合失調症で病院へ運ばれた患者に、睡眠剤を注射してねむらす、というのが、治療の第1歩だそうである。眠れないのはつらいという話をした。
あまり眠れないのは、老化のせいではと思うときもあるんだけれども。眠れた方がいい(^^ゞ。

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2005.03.07

書店風雲録

本の雑誌社刊 田口久美子著
西武百貨店が本屋をつくる。。。百貨店の売り上げは、婦人服売り場の売り上げでもっている。8,9階の百貨店の男性物売り場ってワンフロアだけだ、男に頼ってては商売にならない。。。食料品売り場の売り上げも利益率が薄いから、儲けに貢献しない。。ましてや、百貨店で本などを売って。ところが、百貨店の代表は、堤清二。西武の文化戦略が本屋からはじまった。。
西武ブックセンター、リブロ、等での本はお世話になったことはないが、本屋の戦略が面白い。本は、やはり文化である。この西武の本戦略は、ニューアカデミーと言われる時代を、つくり、その時代とともに終わる。堤清二から頼まれて、本屋ー出版に従事した堤の戦友ともいうべき小川氏かだれかが、「堤さんは、うまくいってるときに、破滅願望があって、挫折する」と評しているのを聞くと、もう一人の堤さんを思い浮かべてしまう。
堤清二がセゾンの代表を辞めるとともに、本戦略が変わるのも面白い。
本屋に、自分の著作が、なぜ置いてないんだと苦情を遠回しに行って来る作家。自分より後に並んでいる客を先に精算したと怒る客など、こちらの内輪話も面白い。
で、この本、本屋で、面白そうだったので、手にとったのですが、やはり、本屋に行って、本と対話しなければ、面白い本は手にはいらん、と、ネットで本を頼むクセが付いてるので、注意、注意。。。
書店の数が減っているのが気になる、大型店におされてるんでしょうが。本は近所の本屋さんで、買おう(^^ゞ

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2005.03.06

えり子の冒険

@小学館刊 渡辺えり子著「早すぎる自叙伝」と副題にある。
失恋して死のうと、遺書を書いたらうまくかけたので、「劇団員のみんなにみせたい!」と帰ったはなしには、思わず笑ってしまった。
57才で、三〇〇の劇団員になった東銀之介さん、「おじさん」の話は、しんみりするし、若手との葛藤などなまなましいし。。。
駅に電車がとまってる1分間に、電車を降りることができない若者、寄付する舞台道具を、きたないからってすてちゃう若者。。。
芝居の本番の最中、楽屋口から出てたばこを吸う若者。(えり子さんの「プロ野球選手が自分の出番じゃないからって、球場外でたばこを吸うか!!」て怒りもわかる)
「桃井かおり」さんにまちがわれる話が出てくるんで、え、え、って感じだったけど、若いときの細いスタイルの写真を見て納得です(^^ゞ

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稽古さぼる

謡+仕舞の稽古が月3回あって、自主練習しててもおいつかない(自主練習しないで行くと大変なことになる)。で、勝手に、ときどき休んでまして、先週休んで(東京行き)、昨日も休み。
休むと急に手持ち無沙汰になる。自主練習してないと、つらい。自分が、どうやれば、うまくなれるのか、謡はよくわからない。。。。
とりあえず、謡の声をだしたい、、、それにつきるんですけど。仕舞は、なんとなく、やれるようになってきたから、自主練習しなくても、なんとか、稽古にいけるんだけど(^^ゞ。

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2005.03.04

丘の上のイエッペ

地元の演劇鑑賞会でみる。地人会。台本、演出 木村光一。村田雄浩、江波杏子、立川三貴他。村田さん、江波さんはうまいし、これ以上、ぴったりの人を他ではさがせない。その上で言うのだが、面白くなかった。なんか、ファルスのばかばかしさがたりない。狂言で、茂山千作という天才的役者がいる。かれは登場するだけで、客が笑う。でも、狂言は、千作以外の人が演じても、対照的な二枚目好男子萬斎が演じても客が笑う。狂言は、言葉で笑う、喜劇的構造を持っているからだと思う。でもファルスには、千作的個人芸が絶対に必要である。
で、元にもどって「イエッペ」。やはり、これはファルスで、演じるには、ファルス的役者がいるのではないだろうか。新劇的訓練の中で、こういうファルス的役者をそだてることはむつかしいのでは。藤山かん美が、たとえば、文学座、俳優座で育つわけはない。おなじように、笑劇を、新劇役者がやるのは、むつかしいのでは(新劇が、たとえば、野田劇、つか劇をやったら失敗するのとおなじように)。このあたりの配慮がないんではないか、新劇がなんでもやれるわけではないぞ、と、新劇なんて言葉を地人会だからつかって言ってみたい。笑えなかった、しっぺ返しの私怨をはらすために(って、村田さんは、客席に向かってかたりかけ、「ここはどこだ、あすこでは、枯れすすきが咲いている」なんて台詞で笑いが起こってましたけど。客席は笑ってましたけど。私の体調がわるかったかもです(弱気)。)

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2005.03.02

風邪っぴっき

先週の終わりに東京へ行って、こまつ座@円生と、、、を見て、その夜は、コクーンで「幻にこころもそぞろ狂わしのわれら将門」(これで題あってます??)を見て、翌日、こまつ座さんで、「円生、、」を見て帰還。その後、ずっと、風邪っぴきで、仕事がないときは寝ておりました。
土曜日の稽古、風邪を理由に休んだら、ホントに風邪になってしまった(;_;)今週の土曜日も、稽古休むしかない。
で、井上ひさしさん、私は、作家は、創作力が衰えると、歴史物に走る、たとえば、黒岩重吾、司馬遼太郎、北方謙三、等々なんて思ってました、井上ひさしさんの歴史(人物伝)もの、おもしろいけど、、、の点々つきだったのですが、この円生、、、は点々抜きで面白かった。実在人物外の時のブラックユーモア(たとえば、薮原検校、雨)もないんだけど、ほんと面白かった。
で、将門。作品は30年前のもの。やはり30年たつと、解説がいるよね〜って感じ。作品が、まだ、30年前をひきづっている、たほう、30年前はわからなくなっている、というこの微妙さ。もう少し、前か、後かだといいんだけど、30年ちゅうのは微妙ですな。オズボーン「怒りをこめて振りかえれ」が、夫婦間の焦燥が、現代では、家庭内暴力としてしかみえない、とこあるし。。。「将門、、」学園闘争敗北後を扱ってる(マイクもってがなる全共闘風の場面もあったし)だけど、大学解体が、ホントに独立行政法人に解体されている今となっては、どっか、ちがうといいたい。このあと、ウェスカー「キッチン」があるけど、これも、当時ですら、階級社会の英国の焦燥と日本は違うって言われてたんだから、何故、今、って気がする。
the座で、「志ん生は、大阪(関西)が好きでなかった(受けなかったから)」というようなことが書いてあって、びっくりしたが。そういやぁ、関西は、「しゃれ」であまり遊ばないや。「隣に囲いができたね」「へーい」ってな笑いは受けないやね(^^ゞ

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