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2005.03.29

オレ様化する子どもたち

私なりに考えれば、たとえば、新幹線の車内でお弁当をたべる、しかし、たとえば、地下鉄、山手線で、弁当をたべるという風に変わったくらいの変化が、さきに、子供に現れているということだろうと思う。
新幹線で、弁当を食べるが、これを山の手線、地下鉄にのりながらたべたらあかんか、注意するかといわれれば、うーーんと考える。注意を受けた方は、なんで、お前から言われなあかんね、と思うであろう。(でも、私には、現在、地下鉄で食事はだめだという感覚はある。)
で、私は、地下鉄、山手線での食事を無視すればいいが、学校の子供が、このような状態になっているのに、教育せねばならない、としたら、それは大変なことだな〜と思う。
そういえば、いつ頃からか、JR車内で、大きめの手鏡を相手に、口紅は塗る、化粧はするって女性を見かけるようになった。最近は、普通のような気がする(^^ゞ
今日は、マクドナルドでならんでいたら、前のおばさんが、広告のチラシをもってきて、ハンバー久クの安売りのチラシの中のマックセットの安売りのところを、店員さんに切らしていた。えっそんなのよそでやってこいよ。無駄な時間をとらすなよ、と思う。子どもであれ、会社の社長であれ、国会議員であれ、マクドナルドが食べたいと思ったら並んで購入せねばならない(代わりに行ってくれる人がいれば別)。

で、これは、消費社会がもたらしたものである。私たちは、お金をもってコンビニにいけば、一人前の消費者として扱われる。コンビニの店員とは対等である。子供たちは、こういう消費社会を満喫しており、一人前だという感覚を持っている。
なにが足りないのか、地下鉄で弁当を食べるのはおかしい(という共同体の暗黙のルール)という感覚がないのだ。
自己のルールとみんなのルールがずれていることがわからない。このルールの教えがたさに、難しさがある。農村社会では、周りの目を気にするというのがあった、つかの間訪れた産業社会でも、農業社会の残滓があった。一人前になるまで修行があった。でも、実現した消費社会は、お金があれば、買うという行為により、一人前として扱われるという社会が出現し、これを体感している子供がいる。
これが崩壊した学級の子供だ、と、私なりに要約すれば、こうなるか(^^ゞ

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