« 2005年3月 | トップページ | 2005年5月 »

2005.04.30

「ロベール・ドアノー展」

写真展。何必館@京都。何必館は、おいしんぼ等ででてくる北大路魯山人の常設美術館。
八坂神社で、狂言の素人会をしている、見に行ったついでに、ふと、よりました。パリの人々の日常を切り取った写真。
街頭で、周りを気にせず、キスしている恋人たち。
美術館で、老夫婦が、作品をみている、婦人は、作品の感想を述べている、聞いている連れの夫の目線をたどると、別作品の裸婦のお尻。
カウンターでほほずえをついている男を書いた作品をまたに挟み、絵の中の男とむかいあってほほずえをついている男。

ピカソの前のテーブルには、ピカソの手のようなパンが置いてある。
写されているパリの老人たちは、おしゃれでかっこいい。帽子、コート、職業服。
戦後直後にとられた子供たちの写真の中のこどもも、ため息がでるほど、おしゃれ。
多分、ドイツ兵と戦うために、街に瓦礫をつみあげるついでに、アスファルトのような道路をめくる人々 題名はたしか、パリをめくる だったかな??

たま、たま、入ったんだけど、よかった。

http://www.kahitsukan.or.jp/doi.html

| | コメント (5) | トラックバック (2)

岡本喜八監督作品

連休にみようと借りてきた「助太刀屋助六」「east meets west」「江分利満氏の優雅な生活」「ジャズ大名」。
@助太刀屋助六 あだ討ちを手伝ってお金を得た助六(真田広之)が、今度はあだ討ちされる武士(仲代達也)を助けようとするが、みねうちをくらって、寝ている間に、武士はあだ討ちにあってしまう。実は、武士は、助六の実の父で、助六は、今度は仇をうつ。
@「east meets west」咸臨丸で、米国に着いたところ、3千両を奪われ、武士(真田)とお庭番(竹中直人)が、犯人を追って、3千両を奪い返す。西部劇です。
@「江分利満氏の優雅な生活」会社の宣伝部員江分利(小林桂樹)が、小説を書き、直木賞を得る。山口瞳原作。
@「ジャズ大名」幕末、ジャズを演奏する黒人が、静岡県の小さな藩に流れ着いた。藩主(古谷一行)は、音楽に興味をもっており、藩の腰元は琴、太鼓方は太鼓を、琵琶をギター風に演奏したりして、藩の座敷牢に閉じ込められた黒人たちから、音楽を教わり、ジャズの演奏が始まる。

「east meets west」は、真田、竹中が出てくる、西部劇です。もう、西部劇にするために筋書きつくったような映画。西部劇に、剣の達人、忍者がでてるってな映画です。
「江分利満氏の優雅な生活」の中で、父を語る主人公に合わせて、父を描く漫画が画面に現れる。玄関に映った動く靴と下駄に、夫婦の会話が重なる。結婚式の風景を♂♀で書いたりとか、祝辞は音声早回しでやったりとか。職場風景で、江分利が画面の前にでてきて、「宴会では、この男、、」と説明がはいると、宴会のときの江分利を演じ、職場の人は動かない、これって、舞台で黒子が動いたり、ある瞬間、舞台にいる人は、いないものと扱われる、歌舞伎とか、能だよねぇ。
「ジャズ大名」で、通過する薩長軍、徳川隊を、東名高速道路を映して現す、交通標識を画面いっぱい映したりとか、歌舞伎、能の音がふんだんにでてくる、藩主の「なにかようか」に「ここのかとうか、、、」と受けたり、宮藤官太郎作品のはちゃめちゃの元祖みたいな、場面があって楽しかった。「助太刀屋。。」に鈴木京香がでてきますが、田舎の活発な頭のいい子を演じてますが、これはうまかった。それと、音楽は、ジャズピアニストの山下洋輔、続けさまに4本見てあきなかった(^^ゞふっ~。そうか、監督の源流は、西部劇と、歌舞伎だったんだ(^^ゞ
(しかし、最近は、よく見てるけど、その前20年の間は映画みてないんだと痛感)

さー連休どうしよう(笑)

| | コメント (4) | トラックバック (2)

2005.04.27

日本文学史早わかり

講談社文庫 丸谷才一著 文学史を、勅撰集で区分するっていう文学史

天皇は、和歌を編集し、天皇は恋歌を作っていた、明治天皇の時代からこの伝統は消えた。ついでに、天皇は和服をきられなくなった。さらについでに、宮中の接待の料理はフランス料理とさだまった^^;。

通常の文学史は、経済的な区分できるから、明治初期に黙阿弥が歌舞伎を書いていたのを説明しづらいので無視している。ってのが面白かった。 で、能の詞章は、和歌のパッチワークのようなものだと思っていたら、実は、源氏物語が、古今和歌集のパッチワークなんだそうである。

歌が二重の意味をもつ

たとえば、 秋の田の実こそかなしけれ我が身むなしくなりぬ思えば

      飽きの頼み=頼んだ人に飽きられてしまった=という意味をももつ

ふーんと感心。

 駒とめて袖うちはらうかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮れ  定家

これが「鉢の木」で「今降る雪に行き方を失い、、、、古歌のこころに似たるぞ、、駒止めて、、」(鉢の木は、僧に身をやつした北条時頼を一夜泊め、火がないので、梅、松、桜の木をくべてもてなしたってお話です)

「笠さして尻もからげず降る雪に定家の卿も裸足なるべし」 芭蕉

「駒止めて雪みる僧に蕗のたう」 其角

もともとは、定家の歌は、源氏から引用の恋の歌なんだけど、鉢の木で武ばり、芭蕉がぱろって其角にいたる。 うーん、日本の歌も、パッチワークか(^^ゞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.23

SHALL WE  DANCE ?

日本版のリメイクなんだけど、日本版みてないのです(^_^;)。
そういやぁ、インフェルノ・アフェアもリメイクされるそうだ。

最後の夫婦愛を強調するところが、ながすぎたかな〜と思うけど、面白い映画でした。 ジェニファー・ロペスが、教えた通りにおどるリチャード・ギアに、ダンスは感情を込めて踊るんだ、「たとえば、彼女が引き戻すほどいとおしい」と「こちらに引き寄せる」等と教えるところ、や、ロペスとギアが、ギアが競技にでる前夜1時間だけ、「感じたままに、踊って」と行ってレッスンを行うところが面白かった。

あ、そうか、ダンスは、官能を観客の前で、芝居と同じように演じるものだ、って、当たり前のことが、私にやっとこさ、理解できた。そうだったのか、言語化できるのか、と、ダンスを見る目の「うろこ」がおちた感じです(<もっと、はやく気付け!ですが(^_^;))

カラオケの台詞入りの歌の台詞を言うのを恥ずかしがる人が多いが、ダンスを踊るのをはずかしがる人が多いのは、この「演じてる」ってとこからくるかもしれない。

PS 「コンスタンティン」は、悪魔・神・エクソシストが争う活劇がおもしろかった。
で、当分見たい映画がなくなった(^_^;)

今日のお稽古。舞台の日を間違えてて、リハーサルを除くと、稽古日は、後2回(3回あると思ってた。素人にとっては、この1回の読み間違いが致命的に痛い^^;。もう一人の新人さんの稽古もみたけど、この人は、どこかで習ってたな、おぬし,やるな。っていうほどうまい。残念(^^ゞ。
今日も「羽衣」の「ゆくへしらずも」の「し」と、「舞うとかや」の「と」の音がでない、何回もまちがってる、どうも、半音低いらしい、これが舞台までに、なおるかどうか(;_;)

| | コメント (10) | トラックバック (4)

2005.04.21

インファナル・アフェアⅢ

いやぁ、俳優さんがいいのよ。
アンディ・ラウ  高倉健
トニー・レオン  佐多啓二 中井貴一のお父さんね(^^ゞ
レオン・ライ   染五郎(今の染五郎のお父さんの方)
チェン・ダミオン 原田芳雄
ケリー・チェン   松たか子
エリック・ツァン  谷 啓
うーん連想するとこんなところか<連想するな!
みんな、セクシーって、エロっぽいって意味じゃなく、大人の男、大人の女っていうセクシーさ。
マフィアから、警察に潜入したり、警察からマフィアに潜入したり、もう、自分の判断しか頼るものがないっツー役を演じてんだから。おまけに、香港の街まで、セクシー。東京は、薄っぺらい(「真夜中のやじさん、、」)で、喜多さんが、「お江戸は薄っぺらぇい、リアルがほしい」ってのに似てるか(すいません、江戸人ではなく、田舎に住んでます^^;)。
物語は、Ⅰ、Ⅱのオマジューってとこもあったりして、というか、Ⅰ,Ⅱの謎解きがあって、あっ、そうだったのってな場面目白押し。私は、すっかり、チェン・ダミオン、ケリー・チェンのファンになりました(^^ゞ

| | コメント (8) | トラックバック (3)

2005.04.20

阿修羅城の瞳

あっ、こういうストリーだったのね。ってのがわかった(なんせ、舞台は、人間関係錯綜としてまして。2003年版は生舞台、2000年版はDVDでみてますが^^;)。鍛冶屋(橋本じゅん)、桜姫(高田聖子)はでてきませんが(^^ゞ)。

そうか、出門と、つばきの恋物語だったんだ(<<早く気づけ!!)
「瀬をはやみ岩をせかるる滝川のわれても末にあわんとぞ思う」って和歌が効果的に使われてます。

舞台では、無理だった、この世と鬼の世への橋、天空にさかさまになっている阿修羅城、それと、舞台では、みられない殺陣は、出門と、つばきの戦いなんぞは、手に汗汗にぎります、魅力的です。(ちょっと、ラバーズ、ヒーローの殺陣が入ってるかな(^^ゞ)

で、今回は女性陣、つばき(宮沢りえ)、美惨(樋口加南子)の台詞回しがよくって、また、艶っぽくって、って感じで、それに、男性陣も、出門(染五郎)内藤剛志(舞台版では、阿倍の清明ですが、国成延行って名前になってます)、邪空(渡辺篤)、南北(小日向文世)も、よかった。宮沢りえ、「たそがれ清兵衛」のときもよかったけど、今回もよかった。樋口加南子も、きれいでしたなぁ。

ただ、舞台だと、鬼殺しの元副隊長だけど、三名目っていう、染五郎の三枚目風がよかったんだけど、映画では、??でした。映画だと、歌舞伎風の台詞回しは、おもいのかな~。??。で、南北と、出門が芝居を稽古する、歌舞伎座は、金毘羅の実在する歌舞伎小屋が使われているんだけど、これが、??。映画にすると、変なリアルになってしまってる。多分、能面は、舞台では、新しい面を使わないけど、TVドラマの中では、新作面を使うと、映えるってのに似てるかな。南北が、出門の演技に「ちがう!」{ちがう!」ってダメだしだして、「この世で見たものしかかかねぇ」の台詞は、ここでも、リアルの追求でしょうね(^^ゞ
つばきが、5年以上前の記憶をなくし、探す、ってところは、自分探しでしょうか^^;

エンディングは、「マイ・ファニィ・バレンタイン」これも、映画にあってました(^^ゞ

| | コメント (3) | トラックバック (5)

2005.04.19

「短歌」

ここんとこ、短歌を作ってまして、仕上げに読んだのが雑誌「短歌」
平成短歌を特集してまして、まー短歌界もすごいことになってるってのがわかりました。

(ほんと、自分で気がつけばいいのに、文章で指摘されるまで、頭に入ってこないつーのは困ったもんだ)。

ひとつは、インターネットを通じて生み出される膨大な口語短歌つーか、話し言葉、つぶやき短歌の出現。
(佐々木幸綱は、「短歌のカラオケ化」と言ってたけど、カラオケはまねするだけだけどな~。でも、能、小唄、義太夫なんてのは、カラオケがはやる前の「からおけ」なんだから、カラオケ化もそうわるくないはず。だって、武士は、謡をたしなんで、謡ってたはずで、これは、もう、今のカラオケとおんなじだよね)。
私は、つぶやき短歌現象もわるくはないぜ、って思うのですが、どんなもんでしょう。
「夜をこめて とりの空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」なんて歌も、「今夜あんたに、あいたにゆくよ」って、誘いの歌に、「逢坂の関はこえられませんよ」(戸はあけませんよ)って返歌なんだから、うん、こんだけのことを言うために技巧をこらしてるんだから、つぶやきには、技巧がないか(^^ゞ。
話し言葉になると、「ゆるさじ」で、4音なのに、「ゆるさない」と書くとこれで「5音」となるので、言葉数がふえて、5,7,5、、、に収まりにくくなるってのはあります(私のような素人は、言葉を、5,7,5、、に当てはめるのが面白いだけなんで、これがってのは、定型がなくなると、もう、つくれません^^;)。短歌の7は、3+4 4+3でできてるので、4,3、に収まらないと、これがくずれてくるかな。
もうひとつ、永田和宏が「結社は短歌の読みを教えるところ」こちらにびっくりしました。そうなんだ、結社で読みを教えなければならない時代なんだ、と。そういえば、文芸批評の小林秀雄、歌舞伎批評の渡辺保、演劇批評、こちらは、たくさんいるので、だれだって、こちらもいないんじゃない^^;、でも短歌には、こういう批評家がいないよ、短歌本は、実作者が書いてる。。。。実作者の批評がおおいかな、「へん、てやんでぃ、おいらみたいにつくってみな、批評するのは10年はやい」ってな世界なんでしょうな^^;
短歌批評が確率するまえに、インターネット短歌が登場してしまった。これは、しかし、他でもみられる現象ではあるな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.04.17

たそがれはまだ早い

アートン刊 関節夫歌集。作者は1949年愛知県生、歌人・コピーライター、佐々木幸綱主宰「心の花」会員とある。

「心の花」は、サラダ記念日の俵万智もいたところ。って、わけでもないが、口語短歌。(岡井隆、斉藤史さんも口語短歌つくってるからな)。

バブル後、路上生活者をしていたと書かれているとおり
「啄木は10円なりぬ宮部みゆき100円なりて我の飢え満つ」とかの歌もあり。

「過ぎ去りし時は戻らぬと知りしもああ女々しきは3日目のワイン」
哀感を歌った歌には、私がいいな~と思う歌がある。

たけだけしい、男歌は今はやらないんだけど、
「久しぶり革命戦士と出会えば角材の手がキーボード打つ」
って風のだけは、同時代人としては、いやだなと思う。一言いう。
私たちは(私は)、あの時代で、「革命側に属しているから価値があり、保守側だからダメだ」と考えは間違っているという認識を、いろんなバカな、無駄ことをしながら手に入れた。
日常なにげなく生活していくことに価値があり、その生活にとどかない思想なんて価値がない、そのことだけは、手に入れた。今、思い出しては、ぎゃって叫びたいことがあったけど。

って、不真面目なことを書いてるやつが、急にまじめなことを言い出したら、「眉に唾を」ってのは、私の一言にも当てはまりますが(^^ゞ

| | コメント (6) | トラックバック (0)

真夜中の弥次さん喜多さん

喜多さんの「そんなのリアルじゃねぇ~」「てやんでぃ」て言葉がよかった。
ネタバレ含みます。
はちゃめちゃな映画です。女子高生の制服にかつらをかぶった女子高生は出てくる、髭のおいらんの場面では、大人計画松尾さんが、髭面で、化粧してかつらをつけ、おいらんの衣装、学生服の衣装で、パントマイムやったりと。この映画を途中で飛び出した、喜多さんが、この映画を見ていたり、地獄の源流で、強大な滝が、実は荒川よしよし(=魂は小池栄子)の涙だったり、、、、、

薬中毒で、役者でホモの喜多さんは、究極のリアルを追求して、若旦那の弥次さん(=長瀬智也)に誘われてお伊勢を目指す旅に出る。バイクで高速を走って着くが、警官に戻されて、新幹線で戻って、今度は、スキップで出直し、で、行く先々でとんでもないことがってな物語です。
実は、弥次さんは、妻を誤って殺しているし、喜多さんは、衆道に引き入れられ、苦しんだ過去がある。この過去の物語とはちゃめちゃな物語の展開。こうしないと、現代のリアルは現れてこない、のかも知れない。(これって、歌舞伎の作劇法、宿の亭主、実は、平知盛ってな、伝統を引き継いでいると思う)。で、江戸の観客に、平知盛の悲劇をリアルに感受させる作劇法だったんだ、と改めて実感してます。
で、長瀬さん、口舌が七乃助にくらべよくなかったんですけど、七乃助さんよりリアルつーか、今風でした。まじめに、悲劇を描く、ローレライ、北のなんとかより悲劇でした(って、ローレライ、北の、、見てないんですが(^^ゞ)

で、もうひとつみたのが、「恍惚」。映画「8人の女たち」のコンビ、エマニュエル・ベアール、ファニー・アルダン主演。ファニー・アルダンが、娼婦ベアールに、「夫を誘惑し、夫との関係を報告する」ことを依頼する。で、ほとんで、二人の会話で、映画が進んでいきます。フランス映画風ベッドシーンは、どこにも登場しませんし、夫との関係が報告されるのですが、これも、「おみだら」ってなもんでもありません。
ベアールの報告で、化学作用のように、妻が変わっていく、二人の間にかもし出される同性愛的雰囲気(で、実際には関係はありません)この心理作用ってのが、面白かったです。

後は、「阿修羅城」「インフェルノ・アフェア」をみなきゃです。みられるのかな(^^ゞ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.04.15

日輪をひととせめぐり

   地の球が今宵咲かせる花は桜木  悠

久しぶりに読んだ短歌。元は、「太陽を一回りして」でした(^^ゞ。一回りだと「ご近所さんを回ってくる」って感じになるので、変えました。
桜の花は王朝風ってなイメージがあって、一年、一年、ざっとめぐって、あれよあれよと去ってゆく、イメージがあるんですけど、どんなものか。
サ・クラ、クラは岩倉と同じく、神が宿るところ、「髪」「紙」と音がおなじで、「カミ」は命のように大切なものってのが原義らしい。(紙も貴重品だったんです(^^ゞ、源氏物語は、紙を惜しみなく提供してくれるパトロンがいなきゃ、かけていない^^;、葉っぱに字を書く、これが「葉書」で、本当に字がかける葉っぱを日吉神社で見ました。閑話休題)
その神が宿るところがクラ。古代人は、一年間、神が、サクラにおりてくるのをまっていたんでしょうな。、って、田で苗を植える準備をしなきゃいけなかったんでしょうな。
こういう、古代からの記憶がどっか農耕民族の先祖からのDNAとして私らに植えまれている(^^ゞ

でも、ここまでくれば、
   日輪が今宵咲かせる花桜
って句でもいいような(笑)

どうも「地の球」はなじみがなく、「花は桜木」は使い古してるしな~
って思ってて最終落ち着いたのが
日輪をひととせめぐり桜花
         今咲き競う現し夜の宴

宴とするか、闇とするかは、最後迷いましたが^^;

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2005.04.13

同時代としての短歌

河出書房新社 1992刊
これは、多分、斉藤史、道浦母都子の歌が載っているので、買い求めたと思う。
<世界より私が大事>簡潔にただ端的に本音をいえば  母都子
春を断つ白い弾道に飛び乗って手など振ったがついにかえらぬ  史  昭和15年の歌集より

はるかより声呼びやまぬわが族 おう・おうと応えて行きがてなくに  史 昭和51年の歌集より

史さんの歌は、2・26事件で処刑された兄・妹のように慣れ親しんだ青年将校のことをうたったものだと思えば、まさしく、歌は鎮魂歌であると思う。
母都子さんは、デモの中での己を詠んだ歌があるから、上の歌うーーんと感動する。

対談で、河野裕子が、「表現がうそっぽくないのがいい」と発言していたが、演劇にたとうれば、今の舞台がうそっぽく見えない、ってのと同義だと思う。「新劇は、うそっぽい」って、「演じられた近代」の著者がいいたかったのは、このことか、と短歌の対談を読んでしるから、濫読も、役にたつ(笑)

水原紫苑、林あまり、俵万智、松平盟子らの対談があったが、最初、歌舞伎、能、芝居の観劇の話がでてくるから、やっぱり歌作りと演劇は、関係があるんだよね。ショウトストリーの趣があるな〜歌は(^^ゞ
で、この10年前の対談で「政治の季節が終わったあとに、、、、(男性の)中年がいまさらかっこいい歌をつくってもしょうがないので、、、」と喝破されてる。断固としておいらは、家族詠はやらないぞ、って、そもそも最近歌つくってないや(爆)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

短歌その形と心

馬場あき子著 日本放送出版会 1990刊
短歌を読んでないよね〜ってんで、探したらあったのがこの本。
短歌は、
 たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
たっぷりと真水を抱きてーーーうん??「水を抱く」まーま、女性が枕をだく、枕が水とイメージしよう。
昏き器をーーーー水が入った器のことだったの(^^ゞ
近江といえりーーーみずの入った器が近江=琵琶湖が真中にあるのねぇ
         近江は逢う身、、、恋人に逢う前の姿
と読んでいくと、イメージが転換する、このイメージが重層的に現れる、といおもしろさがある。

もうひとつ、
 「薄情」という美しき文字をゼッケンとして再逢はめやも
美しき「薄情」ーーーえっ、薄情って美しいの?
ゼッケンを胸にーーーえっ、そんなのつけるの?
再逢はめやもーーーーえっ、ゼッケンつけてだれにあうの??
全体が何かを暗示している、暗喩となっているこの歌、何故感動するのだろう。
意味をたどると、私は薄情だったよ、昔、でも、そのころ、薄情な私にであった人に、私は薄情だった、と言ってでも逢いたい。。。
こういう心情に、何故かこころの琴線がひびくのである。<<<<薄情者!!お前は(^^ゞ

山崎方代の歌  母の名は山崎けさのと申します日の暮れ方の今日の思いよ
     (馬場さんの解説で、傾城阿波鳴門の「父の名は阿波の十郎兵衛、母の名は、、、」を意識しているという)うーん、そうか。イメージが重なるほうが面白いよね(^^ゞ能の詞章なんぞは、全部、和歌からの文句から、5、7,とか抜いて作ってるんじゃないかって思うときもあります(^^ゞ。
馬場さんが習ってるのは、確か、喜多流だ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.04.12

国家の罠

佐藤優著@新潮社
もう、鈴木宗男事件を世間ではわすれられてて、おなじ穴の狢と思われていた、この人のことなんぞは、忘れてるんでしょうな。「外務省のラスプーチンと呼ばれて」と副題にあります。外務省に専門職員として就職し、機密を扱う仕事に従事。提供を受けた情報者の機密をどこまで守るか、背任罪で逮捕した検察官との丁々発止のやりとりは、手に汗握る。田中外務大臣は、いかに、とんでもない人物であったか、たとえば、アミテージ国務長官との面会すっぽかしは、就任お祝いにもらった胡蝶蘭のお礼書きが理由だった、とか、9・11のときのアメリカから得た機密情報をマスコミに公にしたりとか。
 佐藤は、情報の提供を受けた以上、呉れた人の情報は守らねばならない、とか、検察官に語ることは、外務省の機密情報が公開されたときにも、検証されるとか、もう、情報を扱う人間の義理人情の機微が語られており、私は、すっかり佐藤のファンになりました。
田中、鈴木の争いについて、佐藤は、独ソ戦直前の国際情勢になぞらえ、田中はヒットラー、鈴木はスターリン、小泉をルーズベルト、外務省執行部をチャーチルにみたたて戦略をねるところがあり、そうか、むかしは、過去の事件に見立てて、自己の戦略をきめてたんだよな~と。年上の人が、なにかの反対運動をしていたとき、ある人に、「俺は黒田勘兵衛の役割を果たすから、お前は、秀吉として、指令をかけろ」と見立てていたことがあった。これは、共通に、歴史、講談を知ってないと、できないよね。国民が、こういう物語でもって、自己の戦略、未来を構想するのに、講談、浪曲、歌舞伎の果たしていた役割はおおきいはずだ。閑話休題。

でも後がつづかない(^^ゞ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.04.11

演じられた近代

で、後半どこまでつづくのか、新劇までつながるのか、って期待で読んでましたが、あっさり、唐さん、鈴木さんに飛んで終わってます。
でも、明治維新後の苦労。これは、ナンバ歩きの日本人に行進ができるようにさせた体操教育。西洋音楽を聴く耳を育て、マーチで行進できるようにした音楽教育。ま、明治の教育によって、日本人の体の反応は、変わってきました。で、演劇だけは、教育のプログラムになかった。で、演劇人は、変化に対応する苦労を重ねる。
いまでも、新劇の訓練を受けた平幹二朗が、吉本新喜劇で芝居を演じられないよね。逆に間カンペイが新劇にでられるわけにもいかない。(岩波新書「宝塚、、、」って本に、宝塚の男役は、10年かかって型をつくり、今、それで、劇に活躍している3人として、麻実れい、安寿みら、久世星佳ってありました。久世の「OUT」での抜群の演技は、宝塚の男役の型で、主人公=ヒーロー中年女性を演じたところにある、と書かれてました(^^ゞ。閑話休題)。
で、唐、鈴木は、新劇的演技=身体に対するアンチである(これは、よく言われてます)。
で、じゃ、今、私ら国民の身体はどこらへんにあるのか。ってなとこで終わってます。おーーーーいぃ、その結論だけでも教えておくれ、その結論が知りたさに、最後まで読みついで来たんだから(;_;)。
でも、イギリスの芝居が、TVで、いや、イギリスへ行ってみられる時代に、イギリスの芝居を日本人がやる意味はあるのか。日本人が演じた外国芝居を、日本人が見て切実感があるのか。というと、この間みた「デモクラシー」も外国人俳優で演じられたものをみたい。いま、「デモクラシー」の提起する、国と国間の緊張、陰謀ってな状況にない。ちゅうか、今、中国のデモが問題になってるけど、どう、問題を解決して、友好につなげるか、って考える環境には、今の日本ではないし。でも、「デモクラシー」で提起された、いかに、問題をはらみながら進むか、って緊張感は、おもしろいし、知的には刺激をうける。
で、何がいいたいのか、今、日本人は、外国の芝居、それを日本人が演じたものでも、見たがっている。しかし、本当に見につまされるのは、外国の芝居ではない。という、状況にあるってことかな。日本の国民劇をつくるのは、井上ひさし、永井愛さんの活躍に期待してます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.04.09

その日暮らし

トラックバック、この間はできたんだけど、え、っ、どうやるんだっけ、、、そのうち、このブログのいろんなのをさわったので、設定がおかしくなって、元に戻す方法がわからなかったりとか、で、今までかかってしまった。
稽古の後、仕事場によったのがあかんかったのじゃ。
でも、おかげで、アドレスを入力せずとも、コメントがかける設定にできた。フッ。パソコンさわってるうちに、マックミニがほしくなり、衝動買いしてしまったし。。。。
映画を見に行く予定時間は過ぎてしまった。あー一日が終わった(^_^;)

| | コメント (11) | トラックバック (0)

4/9稽古

この間の狂言の稽古は、もう、20日ぶりだったせいか、身がはいらず、台詞はテニオハはなおされるは、前注意されたところも直ってないとかでさんざんでした。
今日は、さっきまで謡+仕舞の稽古。これは、先週、稽古したばかりなので、まーさすが、この前注意を受けたところは、直りかけてます。
で、謡に弱吟(ヨワギン)と強吟(ツヨギン)とがあるんですが、このヨワギンは、顔を上げて、高い声で謡う。ただし、顎をあげるとみっともないので、背筋のお腹の後ろあたりを反って、まーお腹を突き出すと、顔をあげたと同じことになる、と教わる。
もうひとつ、謡で語りの部分があり、これを、私は、勝手に2音上がり、たとえば、「そのころもは」とあれば、2音目の「の」にアクセントを置くのだと思っていて、練習してきたのに、山の稜線のように、あがり、その後ジョジョに下がる。と教わる。がーーン。もっと、早く言っておいて下さらなきゃ、師匠、練習の都合ってものが(^^ゞ。今までの演習は、まちがったのを固定するだけだったんだ(;_;)
で私の次が新入りさんの稽古。聴いてきました。やっぱりおいらは上達してると確信をもって、稽古場をさる<<イヤなやつ(^_^;)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

演じられた近代

NHK出版社@兵藤裕己〈国民〉の身体とパフォーマンスという副題。
明治20年代の演劇状況って言いますと
 黙阿弥が明治14年に河内山宗俊、直侍を書いてます。これは、団十郎、菊五郎でやってます。
 団十郎は、依田学海等の学者ブレーンとともに、「活歴」なんていうリアルな芝居を目指して舞台にかけてますが、民衆には不評。知識人には受けてます。
 菊五郎は、歌舞伎役者として、市井のゴロツキなんぞを演じて評判をとっている。
 政府は、条約改正をもくろんで、西洋化をはかっており、歌舞伎に対して、貴人も見られるように、高尚なものにしなくちゃいけないと演劇改良化をすすめてます。
 坪内逍遙、森鴎外等も、演劇論争を通じて改良化をはかるのに一役かっている。
 もうひとつ、自由民権運動は弾圧されて、演説会ができない、で、講談ならかまやしないってんで、講談師等の鑑札をとり、講談等で運動を進める。で、もって、もともとの運動ってのが、「一つとせー自由なんとかかんとか」という数え歌で思想の普及をはかっておりました。ここから、オッペケペッポ、壮士芝居、そう、川上音二郎がでてきます。
で、条約改正がならず、官主導の演劇改良運動は、ポシャリまして、団十郎は、福地なんとか、と組んで、リアルな芝居を目指す。が、これも、日清戦争を題材に福地が書いた芝居が、まったく、民衆にうけず、いくらリアルっても、歌舞伎の演技で、現代物はできんよな〜ってんで、福地は興味を失い、団十郎は、元の歌舞伎を演じるようになる。
となると、後は、壮士芝居の川上が、シェークスピア等を翻案してやります。川上はフランス演劇を見て、これを翻案してます。学者からは、不評ですが民衆には受けている。この川上一座から、独立してできたのが新派。

読んだとこまでまとめると、こうなります(^^ゞ
川上が今のように、チケットを買って、花道のない、楽屋舞台を始めた。日本の歌の基本は、2ハク4拍子で、「3,3、7拍子」も空白をいれると、ちゃちゃちゃ@(空白)で、4拍子になる。60年代のデモで、「アンポーハンタイ、、、」なんてやってましたのも、2ハク4拍子(7,7)になるんで、これは、もう、日本人に骨がらみについてくるものだ。とかいう面白いとこはとばしてまとめてます(^^ゞ

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.04.04

母音発声法

これのせいか、先週の稽古で、謡の師匠から、「よくなった、その謡い方や」と謡いはじめたら言ってもらって、よろこんで、ころこんでます。そうか、母音発声法にあったのか、日本語の発声の基礎は!!(<<ちがうやろ!)。でも、日本語って一字一音だから、母音でひとつひとつ区切ってる感じがしてきた。ま、これでしばらくがんばろう(笑)。
で、師匠に言われたのが「大きな声だそうとするから力んでカエルつぶしたような声になるんや」。うん、おいらの声はカエルの鳴き声だったの、ガーン^^;。
でも、どこかで、杉村春子さんが小劇場の発声を聞いて、「私らも昔、大きい声だせばいい、と思っててやってたからわかる」って言ってたのを読んで(あ、これ、渡辺えり子の対談@季刊「せりふの時代」の最新号に出てた)、大声出すばかりがノウやないんや、と、思ってたとこなんで、腑に落ちた(^^ゞ)舞台でやるんだから、大きな声じゃなきゃって思ってましたもん。でも、能舞台の客は300人くらいですもんね(^^ゞ。

「羽衣」で、羽衣を取られて、「かなしやな、、、、」返してくれるってんで「うれしやな。。。」やっぱり言葉をいうときは、最初は、悲しく、返してもらうときは「うれしく」言うんだそうだ。狂言では、そういう風にやってけど、考えたら、謡もそうだわぃな~。ワキ、謡ってくれる人は、たしか、昨年入門したのに、もう「羽衣」か。そのうち、私は、おいこされそう^^;。こっちが「かなしや、、、」だな~(笑)

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2005.04.03

クライシス・オブ・アメリカ

政界入りしたレイモンド・ショーが、副大統領に指名される。これをみているのは、元上官のマルコ少佐。
ショーは湾岸戦争の英雄的行為により人気がある。ショーは敵に襲撃された際、味方を助け出す。マルコは、味方を殺している夢にうなされている。湾岸戦争後遺症にかかったといわれ、治療を受けている。
マルコは、襲撃された際の仲間を訪ね、実際何があったか確かめたいと思い、選挙で忙しいショーにも合う。しかし、彼の悪夢を信じるものは誰もいない。映画を見てる私も、彼は精神をやんでいると思ってましたもん、最後の??分まで。
事実は、ショーの母がショーを大統領にしようと、ショーを洗脳していた。(記憶を改造する、そのために、脳科学者にショーの頭にチップを挿入させる。また、部隊の人間にチップを埋めて、ショーが英雄的行為を行ったと洗脳していた)。で、母は、アメリカの軍需産業と関係がある。ここで、観客は、軍需産業が、政府を、うごかそうとしてるのではと疑念をいだく。
マルコは、ある科学者の協力を得て記憶を取りもどし、FBIの協力を得てショーに接触し、ショーにFBIへの協力を求める。そのとき、ショーの母から電話がかかってきて、マルコがかわると、母がつぶやく暗示の言葉で、マルコは洗脳されていた状態にもどる。
母は、マルコに大統領暗殺を指示する。マルコは、選挙当日、民衆に挨拶する大統領を狙う(ある暗示がしてあって、赤い大きな星型の紙で大統領の立つ位置が指示されており、マルコはそこに立つ人をライフルで撃て、と暗示をかけられている)。
だが、大統領は、そこにたたず、そこに立ったのはショーだった。弾丸は、ショー、母を貫き、二人の野望(母の野望)は潰えさる。
ってのが物語です。枝葉ははしょってますけど(^^ゞ。で、ネタばれなんだけど、まーここを訪れる人は、こんな映画はみないだろうってんで、ごめんなさい(^^ゞ
B級テイストの映画なんだけど、ショーはケネディを思わせるし、2転3転するドラマ仕立てで楽しめました。
日本じゃ、こんな映画はつくれないよねっと思うだけでも、見といてよかった(^^ゞ。
でも、チップを埋め込んで、記憶を変えるてのが、どうも、そんな〜って、気がして、そこだけ、そんな馬鹿なことはないだろう、と物語に入っていけず、マルコが、本当に精神をやんでるように見えた。アメリカには、湾岸戦争で後遺症を追った若者がいることや、多人種が入り交じってアメリカが成立してる、ってのが、よくわかりました(^^ゞ
映画のパンフレットが売ってなかったんで、俳優がわからなかった。母役さんは「めぐりあう時間」(ダロウェィ夫人)でみたことあるんだけどなぁ(--;)

| | コメント (9) | トラックバック (0)

« 2005年3月 | トップページ | 2005年5月 »