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2005.05.12

HIDE and SEEK

時間つぶしのために映画館にいくと、後半しかみられないということになる。自宅から歩いて2分ってとこに映画館があるのがいかん、かもしれん(^^ゞ。(TVかわりに見てるかもしれない)

で、内田樹@「映画の構造分析」を読んでいて、カメラの視線がどこにあるかを、「裏窓」@ヒッチコックを例に書いていた。この映画では、映画の主人公の視線か、映画の主人公が写っている、カメラがみているものはこれに限られる。このルールが適用されていない箇所があり、そこでは、「この風景を見ているのは誰かを、、、、意識させないように意識させる」技法をとっていると断じていた。スリラーものは、今の見ている、そのカメラの視線はどこにあるかが気になる。今、私がみている画面は、犯人がみている画像ではないのか、とか。そのうちに映画に参加している気になる(^^ゞ

この映画、後半だけ見ましたが、後半は、心理学者が、精神を深く病んだ子に寄せる愛情、子が父に抱く愛憎が描かれていた。タネあかしまで、一気にみてしまってから、あれ、あの父どこかでみたぞ、そうだ、「アナライズ・ユウ」のデ・ニーロだ、「アナライズ」のハチャメチャ感と違って、ほんと、こういう心理学者、いるよってな感じの繊細な役を演じてました。これがねぇ、変身すると、タキシードを着てパーティにでても似合い、記憶喪失風父親にもなって、どちらも魅力的なんです(^^ゞ。

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コメント

「この風景を見ているのは誰かを、、、、意識させないように意識させる」技法である...

なんとなくわかります。歌とかにも通じるものがあるかな。
「私」という主語、主体を入れないで表現する。見ているのは誰だろうって、
不思議な感覚にとらわれる歌。初心者は必ず「我の・・・」「私が・・・」を使うのですよね。

ごみ集積場の上空で、カラスの大群をみました。
ヒッチコックの「鳥」を思い出して、不思議な感覚にとらわれたのを思い出しました。

投稿: アゲハ蝶 | 2005.05.13 06:41

だれかが作品を作っているのだから、どこかにその人の視線があるはず、って作品の場合は思いますよね(^^ゞ<<すなおに、みれんのか!

投稿: 悠 | 2005.05.13 13:39

オバサンは「私」がいつも主語で それも言わずとも・・といった世界。 
スイマセンそんな狭い時限の話ではなかったですね。(笑)「

投稿: びわ | 2005.05.14 15:14

でもね、わたし、尊敬してるんですよ、オバサンの会話力(^^ゞ男同士だと、会話つづかないことが多くって、オバサンのは才能だな~と。

投稿: 悠 | 2005.05.14 22:17

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