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2005.05.31

イッセイさん、追加

「生物教師」
「おおーごめん、今日は、君らに謝んなきゃならない」「先生、猫の解剖したことがばれて、今日は、教育委員会がきてる」「この授業にも、そこにカメラがついてる」「今日は最後の授業だ、遺伝」「親の因果が子にむくいってのが遺伝だ」「眉毛をくらべれば、誰の子かわかる、これが遺伝だ」「遺伝の例って、ショウジョウバエ、えんどう豆、こんなのばっかりだ」「ショウジョウバエなんてみたことあるか」「遺伝は、やっぱり猫の解剖だ」

「ひとみちゃんー家政婦協会編」
「家政婦協会からきました」「すごいですね、これ、新聞ですか、こっちはペットボトル、あっ、これはプラステック、、、、」「そう、そう、すてられませんよね(^^ゞ」「あ、私、昨日まで、パブで働いてました」「なぜ、やめたかというと、定年制がひかれたから」「あ、この布団は、毎日ひいてるんですか、わたしも、引いてたことがあったのよ、自暴自棄のときに、、、」

あとは、「ひとみちゃんーパブ編」「チェロをひく老人」ってのがありました。

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2005.05.28

イッセイ尾形の「とまらない生活2005」

池波正太郎がいうごとく、一日二つをみてはいけない、って掟に従わず、(だってチケットかってたんだもーん^^;)、ミリオンダラー・ベィビーを引きづりながらみてきました。
おいらのツボは、「ピザ屋」と「テーラー」(って名前はついてないので、おいらが勝手につけました。

「組合活動家」

妻はホスピスに入院、父は認知障害。組合学習会で、いやみ・からみを述べながら、携帯に電話が「え、父が社宅にいない!」(組合員に)「父が徘徊してるので、危ないとこがあるので、中座して探しにいくから」「え、そこもあぶないの」「え、そこも」「えぇ、皆がさがしてくれるの」「じゃここで、まってるから、見つかったら合図頂戴、みつかったら合図で知らせるから」「おーい、君はこっち、あんたはこっち、、、、を探して」「あれ、ところで、みんな(私の父を)知ってるの」(^^ゞ

「ピザ屋」 
制服を着てはいるが金髪に染めた当世風あんちゃん@アルバイトが、さる会社の山田さんに頼まれたピザを会社にいる山田さんに届けるが、山田さんはいない。
「山田さーーん、ピザお届けにあがりました」「えっ、山田さんがいない、これはここの会社に山田さんがいないのか、それとも、たまたま山田さんがいないのかどっちです、ただしい、日本語つかってっ下さいよ。おねがいしまっすよ~」「このピザは、イタリア人がくるくるまわしてつくったピザじゃないです、単なるピザです。おいらはたかがピザ屋ですが、山田さん以外にはわたせません」「山田さーーん」「何きれてんですか、皆が(おいらを)囲んでどうするんですか、たかがピザ屋ですよ」「まじすっか、ピザをキャンセルして、あんたが買うからおいてゆけってゆうんですか」「たかがピザに何複雑にするんですか」「おねがいしまっすよ」「山田さーーん、ピザ屋で~す。このピザ冷めたら、たべられませんよ~」

「テーラー」
店主は老人。子等は跡を継がない。もう、英国風紳士だが、年はとっている。

「うちでおつくりになるんですか、予算は、10万、17万、、、、、近所にデパートがございますんで、ご紹介いたしましょうか」「スーツの晴れ着、棺おけにこれを着てお入りになりたい」「さようでございますか」「(妻に)ケーキとお茶を入れて下さい」「このケーキを食べて大丈夫でございますか、あの、(死期を)早めることにはならないかと」「その時期に奥さんは、おこさんを連れて家を出られたと」「私も、普通の人生です」「腕によりをかけて作らせていただきます」「こういうことはテーラーの私が思いつくべきでした」
なんかシュールでしょう(笑)。
ってな風で、でも、イッセイさん、日本的に湿っぽくなってません。おいらも、湿っぽくなりませんから、枯れないで下さいね^^;。

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ミリオンダラー・ベイビー

(ーあらすじーネタバレ含みます)
ボクシング・ジムを経営するフランキー。そこでは、黒人の片目の黒人スクラップが働いている。スクラップは、元ボクサーで、フランキーが試合中これ以上の続行をとめるにもかかわらず、闘いつづけ、目の上を切り、その血が目にはいって片目を失明している。不遇な生活を送ってきたマギーは、フランキーにトレーラーになってもらうべく頼むが、フランキーは最初は、断るが、結局トレーラーを引き受ける。二人して、百万ドルのファイトマネーをかけたタイトルマッチにいどむ。この試合で、相手の汚いパンチをくらったマギー首の骨をおり全身不随となる。ある日、マギーから呼吸装置を停止することを頼まれたフランキーは、これをはずし、失踪する。
フランキーには娘ケイテイがおり、ときおり手紙が送っているが、すべて返されている。この映画の語りは、スクラップが、ケイティにフランキーのこと、失踪するまでのことを書いている手紙の構成をとっている。

31歳になって、ボクシングを続けるマギー、「一人前には4年かかる、そのときは、お前はいくつだ」と言うフランキー。「父は死んだ、母は太りすぎで、生活保護、妹の旦那は刑務所、私は、帰ったらトレーラーで生活しなきゃなんない」「ボクシングするときが幸せなんだ」とマギー。このあたりから始まるボクシング生活。ボクシングの試合は、見ているのがつらくなるほど。悲惨な生活。マギーにやってきた栄光。でも、また、悲惨な生活に。このあたりで、胸をつかれる。「いい生活だった」というマギー。絶対自分の人生を後悔してない。生活保護を受けて、マギー死後のマギーの財産の心配しかない家族。
ともに闘うことで、理解を深めるフランキーとマギーにおとづれる父娘のような、実の父娘よりこい絆。おいらは、血より、絆だよな、と思う。
なんか、普通の人生の対極にあるような人生が書かれている、マギーとフランキーが、マギーの実家まで行った帰り、ガソリンスタンドで、車の助手席にのっている犬を抱えた少女にマギーが笑いかけ、少女が手をふる。普通の人生が交差する、この瞬間だけが、おいらにとっては救いのような、瞬間だった。どっか、人生を逸脱していきなきゃなんないってのはつらいことだよね、って(普通のおいらは)思うけど、それを選んで生きてるってとこが、ほんと、切なくて泣けました。おいらには、つらい映画でした。

(追記)
その後イッセイさんの芝居見て笑ってきましたが、この映画の印象が残って、残って。
自分の人生で起こったことをすべて他人のせいにしなくて、すべては、自分が望んだこと、意思して起こったことと思えるか、そう思ってすべてを自分が引き受けることができるか、そういうことを問われてる気がして、切ないや。。。。。。。

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さよならさよなら ハリウッド

(あらすじ)ハリウッドのプロデュサーエリーから落ち目の監督ヴァルにオッファーがくる。エリーは、政策会社の重役ハルの婚約者。ヴァルは、ちと軽薄な若手女優と同棲中。エリーとヴァルは元結婚していた。で、撮影に入るが、ヴァルが心因性の盲目になるが、ヴァルのエージェントは、盲目になったことを隠して映画撮影をすすめてゆく。で、出来上がった映画は米国ではさんざん、ところがフランスでは評判を呼び、ヴァルとエリーは、フランスで住むことなる。
「さよならハリウッド」というより、「ハリウッド追い出され顛末記」といったほうがいいコメディ。

ヴァルとエリーがバーで打ち合わせをするときの、ヴァルが「君は、離婚する前からできてたんだ、、、、」エリー「ビジネスの話を」ヴァル「おお、主演女優には、、、、撮影監督には、中国人の、、、 え、いつも、君は、夜あいつに電話してたんだろ、、、、」エリー「、、、、、音楽監督には、、、、」
という風にビジネスの話をしながら、同じ語り口で、突如、離婚にいたったことを責める、ヴァルが特に面白かった。

同棲中の若い女優を、オーディションで端役につかうことになるが、この女優、同棲解消をいわれても、「映画にはでられるの?」って聞く、重役の宿泊ホテルで、盲目と気づかれずに話すヴァル、盲目の原因を、ヴァルの息子が仲たがいしており、息子を「見たくない」ってのに原因があるからと、パンクロックをやってる息子に会いにゆくとか、いろいろ、面白い場面があるが、バーの場面がおいらのつぼかな。

でも、アメリカよりフランスなんだ。「パリ 遊歩者のまなざし」の著者もアメリカ人作家。アメリカの人種差別に関する国外拠点をパリにおいている例がかかれているし、ジャズを最初に評価したのもフランスだし、ナポレオン時代から「ゲイ」は認められているって書かれてる。もっとも、この本は、ー300万人の失業、300万人の移民ーなどというスローガンを掲げる右翼や、いまだに王族を信奉している君主制主義者のことにも目がとどいている。遊歩=ゆっくり散歩=のことです。

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2005.05.26

失踪日記

吾妻ひでお著 イーストプレス刊  漫画家が、締め切り日の重圧に耐えられず失踪、ホームレスー連れ戻される。再度失踪、ホームレスー配管工。漫画家に戻る。アル中ー入院。 というのが漫画で語られる。おいらの業界でも、机に仕事の書類をひろげたまま失踪ってのは聞いたことがある。うーん、でも、アルコール病院ってが漫画で描かれているけど、すさまじい。

「パリ 遊歩者のまなざし」(エドモンド・ホワイト著 DHC刊)著者はアメリカ人である。途中で、同じく遊歩者のベンヤミンの言葉が引用されているが、固い翻訳をなおすと、「散歩するならパリだぜ。ローマなんて固くるしくって、あんなとこは、順番にカタログもって観光客がまわりゃいいのさ。パリでは、散歩しながら出会う、風雨にさらされたドアってのに出会うんだぜ、これがいいのさ」ってとこでしょうか。

パリと黒人、パリとユダヤ人、フランスの個人主義等がかかれているが、面白かったのは、ローザン館(博物館)の持ち主だったこともある若者。枢機卿の孫息子。遺産の承継を宛に、修道院からかっぱらってきた娘と、借金を重ね、パーティをひらく。遺産は承継できず没落する。ってな話です。雁金屋の跡継ぎ尾形光琳も、遺産を宛にし、道楽にふけってたんだし、やっぱり、散財できる親の遺産がほしいぞ、って思うけど、おいらにや、ないや(笑)

都会をあるくってのはいいな〜。おいらの業界、1年に一回、宴会を企画するんだ。で、東京もんが企画するから、天童温泉とか、北海道のなんとか温泉なんだ。東京もんは、「空気がきれいだ、水がおいしい」なんてやってるが、おいらは田舎もんのプライドにかけて、そんな言葉はけやしないや(爆)

で、この本読んでるうちに、戦前、中国に暮らし、日本の敗戦を予想していた「中江丑吉」(=中江兆民の息子です)が、北京で、これまた、「アカシアと楡と隗樹の間から見える洋館」などをみながら散歩している。この人から教えを受けた人が、反戦思想をもって、いろんなことをさぼっていると言うと、丑吉は「だから日本のインテリはだめだ、大衆は、やってはいけないこと、捕虜をころさない、とか、絶対やっちゃいけないことを2,3決めておいて後は、普通にしろ、そうしないと弱くなる」っていわれたって思い出に書いている(「中江丑吉という人」@大和書房)。

中国とパリ、ってどっか似ている。中国文化の世界的レベルの研究は、フランスで行われているとどこかで読んだ。中国ー日本の橋渡しであった人がいると思って、最近の日中問題を眺めている。

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2005.05.25

戯曲・クローサー

映画見た後、戯曲をネットで注文してたのですが、仕事で、都会に出たついでに、本屋によったらあったので、ざっと見てきました。
映画と違ってるところで気づくのは、
ドラマでは、アリスは最後に交通事故で死亡=これは、舞台では、アリスの本名「ジェーン」を分からす(映画なら、パスポートを見せることで可能だけど(^^ゞ)
ドラマでは、アリスは、ラリーと付き合っていたこともある、映画では、よく分からない結論になっている。
これは、アリスの言葉だけが、正直であるというというためには、必要かな、と。しかし、映画のようにぼかしてもいいかと。
映画では、最後は、ラリーとアンナは夫婦をしているが、ドラマでは別れている。
これもまいいいか。
でも、ドラマの重要なアンアとアリスの会話
「男も荷物をしょっている。女だけが背負っているのではない。男は、女に君はどんな荷物を背負ってるのって聞く、自分は、何も背負ってないみたいに。男は、荷物を忘れるために、女に逃げる」(まー「女にロマンを求める」ってことだと、理解(^^ゞ)。これが消えてるのは残念)。

芝居の方は、イギリスで、若い客を集めたってんで評判だったらしいです。芝居、もちろんみてません^^;。

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2005.05.23

クローサー

二組の男女の結ばれ別れの繰り返し。ダン(新聞記者)とアリス(ストリッパー)は、横断歩道でアリスが車に引かれ、気絶し、目を覚まし、介抱するダンに「Hello stranger」(やあ、見知らぬ人)って声をかけて知り合う。ダンは、アンナ(カメラマン)と、「stranger同士がキスするってことある?」とキスする。ダンは、アンナと偽って、H系チャットで、ラリー(医師)とチャットする。間に受けたラリーは、待ち合わせ場所の水族館に行くと、偶然アンナがいて、彼女と知り合い結婚する。だがダンとアンナは結ばれていて、これを知ったアリスはダンと別れる。アンナは、ラリーと話し、離婚しようとする。ダンは、、、、「stranger」これってキーワードみたい(^^ゞ

なんか舞台劇のように台詞がよく、ほんとメモしたいよな~って台詞がたくさんあった、って、この映画もともとは舞台。「8人の女たち」が舞台から映画になったようなものか(^^ゞ
えっ、え、そんなとこまで、言葉なの??ってくらい飛び交う言葉。別れる理由を言葉でいい、愛する理由を言葉でいう、多分、愛に落ちたって恋ではなく、登場人物が互いに相手を選ぶっていう意思的な愛。このあたりで、好みが別れると思うけど、おいらは面白かった(^^ゞ

アリスは、愛せなくなったら一緒にいる意味がないと、別れるタイプ。ダンと再会したアリスは、アリスとラリーの仲を疑うダンに、「愛はさめた」と告白し、ダンと別れる。このアリスが、一人で道路を歩いているところから始まり、道路を一人で歩いているところで終わる。潔よな~って気がする。

愛を得た瞬間、「愛されているのか」という疑いにさいなまれる、愛って過去形の中にしかないのか~って思うほど。「そよ風を感じられない~♪」って歌が流れるけど、ほんと、こんな微細さが感じられなくなるんだろう。登場人物が「真実はどうなんだ?」って真実発見中毒のように問うが、アリスだけは、問わない。真実が愛を担保するわけでもないのにね。

ラリーがアンナに裏切られて、クラブで働くアリスに出会い、ラリー「本名を教えろ!」アリス「ジェーン、、」と何回も繰り返す。アリスが本名を教えているにもかかわらず(アリスは、思いつきの名前)。真実たって、疑えばきりないし。。。。。。。。ま、「頭の中に浮かんだ」ってことは事実だけど。。。。

でも、アリスのように愛だけに生きるのってもな~、彼女は、「子供のように」ってダンから言われているから、こういう設定なんだろうね、って思うけど。これって、癒し系かな。
愛を求めるそれぞれのタイプとみると、この映画わかるかな、等といろいろ考えました

昨日書いてて今日(24日)見直したら、アンナとアリスをところどころ間違えて書いてました(^^ゞ。アンナとアリス、それぞれの女性ならもってる部分かもですねって、これも無理やり^^;

ザ・インタープリターはみたので、これを見た後は、つぎは「さよなら、さよなら、ハリウッド」だ(笑)

インターネットでチャットをするダンとラリーのPCは、MACではありませんでした(^^ゞ

どうでもいいけど、今日はストレス膨れっぱなしで、うーん、ストレスって人間関係だよね、絶対人との間で生じるって思う。愛も人間関係、関係性の中にある、その関係の中で、どうよ、安心?快適?ってとこにあるんだ、と無理やり結び付けてっと(^^ゞ。

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2005.05.22

素人会終わる

あーあー終わった、終わった。ここ2ヶ月同じことばかり稽古してきた。「邯鄲」(これ邯鄲の夢っていう説話が能になった)の舞、「羽衣」の謡。終わった、終わった。自分の舞台より、他人の舞台の録音、受付、等々の下役もしてましたし。
能舞台の使い方(って、とまるところの位置)がうまいって、師からほめていただきましたが。(でも、師匠、狂言もあわすと、50舞台は踏んでますんで、それくらいはできなきゃ^^;)。で、いつも、謡で注意されてたとこは、同じように間違ってました^^;

で、能舞台で仕舞をやるとき、足で舞台を踏む(っちゅうか鳴らす)ってところがあって、これは、気持ちのいいものなんだな~って実感。能舞台を足拍子で踏むってのは、能の主役だけに許されているんですが、まさに、特権ですね(謡とあわすのが、おいらにはむつかしくって、好きではないんですけど^^;)。

いつもなら、習い終わったら次の曲をおぼえなきゃってのが、今回は、2ヶ月くらい同じのを習ってたもんで、楽でしたが、師匠が「舞台があると、稽古はつかれるんのや」という述懐を聞くと、へぇ、そんなもんなんだ、と反省。

で、舞台が終わると、なんか、ハイになってて、これでお酒を飲むとやばいよな~って感じがあって、舞台終了後の会では、少しだけにしていたんですが(じつは、宴会も5時ころ終わる予定だったので、その後映画見に行こうと考えてたもので)、やっぱり、ハイ、ちゅうか、はっぴィちゅうか、やばい雰囲気だったので、家に帰り寝てましたら、映画は、割引のある深夜に見たらいいや、、、、いいや、眠たいや、、、、ってんで、朝まで寝てました^^;)

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2005.05.19

波止場日記2

エリック・ホッファーについて、もうすこし書きます。歴史全体を通じて、「大衆は知識人を非常に怖い親方と考えてきた」。ところが、アメリカでは、「実際的な方法で、言葉の祝福も受けずになしとげて」きた。
「摩天楼、大工場、ダム、発電所、ドック、鉄道、、、、は、主として利潤をあげるというまったく卑称な動機から」生み出した(他の国が偉大な国家であると、大衆を鼓舞しながら作ったのと対照的に)。
ホッファーは、アメリカの活力は、大衆である、皆と同じ生活をしようとする、典型的指導者の力をかりずに、複雑な経済、政府機関を動かしてきた。大衆のこの活力が、ヨーロッパと違って、アメリカ社会の特色だと考えてます。
この間、 「しのびよるネオ階級社会」--”イギリス化”する日本の格差--(平凡社新書 ) ってのを読みましたが、バーの入り口が労働者用と非労働者用に別れている、11才のときに、進路が決められる(この年齢では、親の財力というか教養力が、子供の能力に影響する)、労働者と非労働者間の移動はなく、労働者は安い賃金で働かされる、これで、労働意欲がでますか?ってなことが書いていた。 そうか、イギリス礼賛の本は、眉唾でよまなきゃと思った次第で。
インターネット普及、コンピューター普及させたのも、アメリカだし、高度情報「大衆」社会の実現は、インターネットに寄っているし、確かに、アメリカの活力はすごいと思う。
日本でも、みんなが同じってのは、アメリカ化のおかげだと思う。 英国のようにパブリックスクールを作りたがってるとこも日本にはあるけど、そういう社会をあこがれてはいけない、アメリカの活力の源泉が大衆にあるのを忘れないようにしなきゃと自戒してます(^^ゞ。

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2005.05.18

波止場日記

エリック・ホッファー著@みすず書房刊
「アメリカ的態度は、、、、管理職の削減によって知識人から権威ある地位につく機会を大量に奪い取る、、、」と、インターネットが中間管理職の仕事を奪っていくにも似たことが述べられている。(この日記は1958年のもの)。ここんとこ、「第三の男」「裏窓」等の感想で、アメリカの男って、大人じゃないよな~って思ってたけど、でも、アメリカの大衆社会は偉大なんだ。
「文化的エリートが重要な役割を果たすのは、社会が退廃したときである」うーん、そうだよね。憲法を討議しようってな時代は、憲法の危機の時代だもんね(^^ゞ。
アフォリズムがちりばめられた日記。彼は、「大衆運動」の著書でしられているが、波止場労働者であった。アメリカって奥が深いと思う(日本で、労働者の哲学書を出版してくれるところがあるとは思えない。中村教授(青色ダイオードでしたっけ、固有名詞に自信なし)だって日本の大学で職をえることはできなかったんだし。。。

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愛の神、エロス

エロスの純愛「若き仕立屋の恋」The Hand
3人の監督のオムニバス作品ですが、ウォン・カーウァイ監督のだけみてきました。時間30分ほど。ほんと時間に追われた映画のみかたをしてます。
でも、ブログでの感想では、この作品のみがいいみたいです(^_^;)「2046」「花様年華」つながりです。
物語は、仕立職人と高級娼婦の愛の物語、で、二人の間にセックスはないのですが、高級娼婦の部屋でセックス(画面には、女性の肌が露出したり、セックス場面が写ることはありません)が行われているとき、職人がいあわせたりする。
職人が少年であったころ、はじめて、お得意先の娼婦のもとを訪れる明るい場面(娼婦とあってしまってから、こんな明るい場面はでてきません)。後は、職人が会うのは、雨の日ですね。 雨、、、、谷崎の陰影礼賛の世界に近い(^_^;)
。写真よりも、デッサンの方がものの向き、質感がよくとらえられる。
コップを持たないでコップをもつ演技の方が、コップを感じさせる(無対象行動)。
これと同じようなものかな。頭を通して活動する脳内通過化学変化物質かな、エロスは(^_^;) 娼婦が住んでいる部屋(高級なものから落ちぶれた木賃宿みたいなもの=でも、これが絵になってました。日本では、こうはいかない、でもウォン・カーウァイの写す風景は絵になってます)。
私は面白かったですが、人には勧められない、チケット買うのもはずかしかったですもん。ブログの感想のおかげで、見逃さないですみましたので、私のブログにも感想をあげておきます(^_^;)

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2005.05.17

第3の男

あらすじ 第2次世界大戦後のドイツ。アメリカの三文小説化のホリーはハリーの斡旋で仕事にありつこうと、ドイツに来る。その当日ハリーの葬式が行 われている。猫男爵、恋人、大佐などが葬儀に参加している。大佐は、ハリーを、偽ぐすりの犯人だと追っている。恋人はハリーの作った偽パスポートで入国し ている。恋人は、ロシア警察に逮捕されそうになる。じつはハリーは生きている。ホリーは、恋人をすくうべくハリー逮捕に協力し、ハリーを射殺する。

このホリーは狂言回しだけど、彼がいなければ、ハリーは死ぬことはなかったし、恋人と幸せに暮らしていたかもしれない。警察に協力し、恋人を助ける のだけど、恋人がドイツを離れるのを見送りにきているので、恋人は、ホリーが、警察に協力したことをしり、自分だけ助かるのを拒否し、ホリーに「犬みた い」という。この恋人がいさぎいいのです。最後、ハリーの葬式の後、ホリーが、恋人をまっていると、恋人は、ホリーに見向きもせず歩いていく(かっこいい な~(^^ゞ)。ほんと、ホリーの正直と小正義には困ったもんです(^^ゞ。アメリカ人は、正直者で、正義感だからいけないや(笑)。この正義感なんとか なんないですかね(^^ゞ。女性が、ちょっと悪に惹かれるってのがよーーくわかりました(笑)。

 

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2005.05.15

葛城と棒縛り

能は、もう一番「頼政」。着いたときは、宇治の戦いの語りのところであった。面を着けてるせいか、肝心の声が聞き難いので、まー、立ち見で時間をつぶす。で、次が狂言「棒縛り」。なんと、狂言見ながら眠ってしまった(--;)(能見て寝ることはあっても、狂言でってのはなかったのに)茂山千五郎、茂山七五三(しめ)の兄弟の演技は、最後、主人(茂山逸平)と兄弟がからむところだけ見た(^^ゞ。七五三さんの方が面白かった。声の調子もいい。客席に若い女性が多かったのは、七五三さんの息子茂山逸平(TVとかにでてます)のせいか(^_^;) 。
次が「葛城」。これは、葛城の神が、役行者から岩橋造りを命じられ、これを夜に行ったのがたたって、責められている、弔ってくれ、と僧に頼むってのが内容。いやぁ、この葛城の神は、女体で、「若女」の面を着けた姿がろうたけて、なまめかしい。さっきまで、狂言で寝てたせいじゃないよね、って、確かめたくなる(^_^;)責められるのを耐える女性の色っぽさって、これが日本のエロスではないかいな、と思うほど。 忍ぶ恋とかにも通じるかな?昼ドラの「真珠夫人」みたいなものか(ってみてませんけど(^^ゞ)。

(神は)「三熱の苦しみに」ってあったので、辞書で調べると、熱風・熱砂に身に焼かれる、悪風に衣服を奪われる、鳥に捕食されるって苦しみ。うーん、これって、想像すると、きついですわね^^;。演じている役者さんは、面をはみ出した大顔、たぶん肥満体+老人なんだろうなって思うけど(^^ゞ。それと金剛流の舞だったんだけど、「角とり」(=舞台真ん中から、右まで行って、正面に向きを変える)ってのが、観世流より派手でした。狂言(=茂山)でやってる角とりは、金剛流のやり方でした(^^ゞ

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2005.05.13

山猫

パーティで、酒がはいって抜けてもわからないやってころあいを抜けて会場近くの@@@シネマへ。チェックしてたのは、18:15上映の映画なのにみられたのは20:00。やっぱりパーティは欠席すべきだったか(^^ゞ立食形式だと思ってたら違ってたのが、読み間違いか(;_;)欠席すべきであった(笑)

でも、後半の延々とつずく、貴族邸宅にあつまる大舞踏会。shall we dance?の世界だな(^^ゞ。うじゃうじゃとした人が、物を一斉に食べる場面、うーん、これだけ人が集まって、一斉に食べるってのは、なぜか、見てるほうも快感だよね、って場面が見られた。(プログラムによると、メインキャスト20名+エキストラ240名。)
1時間くらいこんな場面だったけど、まったく退屈しませんでした。DVDで見ても、この場面だけはやっぱり大画面でみたいや、って思うから、ヤクザな映画の見方だけど、まーいいか、と(笑)

美を金銭に換算する新興資本家階級、洗練さ、優雅さを失った形式だけの貴族階級、ほんと、たんなるバカじゃないかと思う貴族の娘たち、これに背をむけながらも、自分の所属している社会は貴族社会で、新興社会には生きられないことを悟っている主人公の孤独。
主人公が、もはや、自分の時代ではない、しかし、自分の後を、自分の凡庸な子に託すのではなく、野心的な甥に託し、甥を、次の世代を、育てようとする、それが面白かった。

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2005.05.12

HIDE and SEEK

時間つぶしのために映画館にいくと、後半しかみられないということになる。自宅から歩いて2分ってとこに映画館があるのがいかん、かもしれん(^^ゞ。(TVかわりに見てるかもしれない)

で、内田樹@「映画の構造分析」を読んでいて、カメラの視線がどこにあるかを、「裏窓」@ヒッチコックを例に書いていた。この映画では、映画の主人公の視線か、映画の主人公が写っている、カメラがみているものはこれに限られる。このルールが適用されていない箇所があり、そこでは、「この風景を見ているのは誰かを、、、、意識させないように意識させる」技法をとっていると断じていた。スリラーものは、今の見ている、そのカメラの視線はどこにあるかが気になる。今、私がみている画面は、犯人がみている画像ではないのか、とか。そのうちに映画に参加している気になる(^^ゞ

この映画、後半だけ見ましたが、後半は、心理学者が、精神を深く病んだ子に寄せる愛情、子が父に抱く愛憎が描かれていた。タネあかしまで、一気にみてしまってから、あれ、あの父どこかでみたぞ、そうだ、「アナライズ・ユウ」のデ・ニーロだ、「アナライズ」のハチャメチャ感と違って、ほんと、こういう心理学者、いるよってな感じの繊細な役を演じてました。これがねぇ、変身すると、タキシードを着てパーティにでても似合い、記憶喪失風父親にもなって、どちらも魅力的なんです(^^ゞ。

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2005.05.10

寺山「血の起源」@大阪

観て来ました。舞台には、能舞台のような台が置かれており、ただし、台には枠があり、その真ん中には水がはられている。まー田に水をはり、周りはあぜってのを想像してもらえばいいか。4本の柱の代わりに、上から紅い布がたらしてある。揚幕もある。揚幕から台までの、能舞台で言う橋係りには、彼岸花が植えてある。女が見る夢が展開していくので、夢幻能(脇役が舞台に出てくる。その脇役が見る夢に主人公が出てきて、往時の状態を表す)ってな形式にのっとっている。能形式は、こういう過去と未来と現在を自在に行き来するときには、便利だと思う。寺山さんって、東北育ちだから、東北の田舎の蔵に眠っているものを呼び起こす、おどろおどろしたところがあるよねって思う。同時代の唐さん(赤テント)、佐藤信さん(黒テント)も都会育ちだから、こういうところはないか、いや、佐藤さんのは、そうでもないか。でも、おどろおどろさがやっぱり寺山さんの特色だと思う。

でも、おどろおどろさが消えてゆく現代だからな~とも思うんだけど。

PS JRの時間外の娯楽について書いたけど、JRってとことん日本の会社なんだな~って思う。時間通りに電車を運行することをやり遂げる、細密さ。それを管理するのに、罰を用いる(<もっと違う管理ができんのか!)。外部の人に再教育システムを説明できるのかな~。と、ここまでは、経営者側にいいたいのだけど、社員は、時間外では、皆で、ボーリング、皆で宴会。。。(<一人であそべんのか(^^ゞ)

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2005.05.08

魂萌え

桐野夏生著 毎日新聞社
夫が急死したが、その夫には愛人との生活があることがわかる。子供たちは、財産分けを要求する。夫の蕎麦うち仲間には、同級生とともに参加するが、そこでの人間関係がぎくしゃくする。って状況下で、専業主婦だった主人公が、状況判断しながら生きて行く。ってな物語かな。桐野さん、「OUT」の舞台見て、小説も読み出したのだけど、女性主人公は、ダークヒーローっていうような、かっこいいいのが多かった。グロテスク、これにつづく、アイムソーリーママ これは、もうヒーロだけどかっこよくなかった)、「魂萌え」は毎日新聞朝刊連載小説だから、そういう暗い世界は抑制されているのかな。
つぎの小説に期待します(^^ゞ

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交渉人真下正義

この間みた「MAKOTO」の監督君塚良一の原案とある。もう、監督より脚本・原案のほうがいいですよ(^^ゞで、後半くらいから見た映画なので、なんですが、おもしろかったです。犯人と真下(ユースケ・サンタマリア)との交渉、指令長(國村隼)とのやり取り、暴走する地下鉄、爆弾が仕掛けられている劇場で「ボレロ」が演奏されている、ボレロで使われる楽器が引き金になって爆破する。。。。。はらはらどきどきでした。
ユースケさん、國村さん等はもちろんですけど、シンバル演奏者に今井朋彦さん=「民主主義」のロシア側スパイ=、辻萬長=舞台「父と暮らせば」、小林隆、松重豊、とか舞台俳優さんが出てくるので見もの。西村雅彦は、髭生やしてクラシックの指揮者で出てくるので笑えた(なぜか??)。
面白かったです(^^ゞ

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稽古日誌05-5-7

舞台が近いので、師匠の教え方も熱がはいってる。仕舞で、実際の舞台と同じく、師匠が後ろから謡って下さる。と、いつもは、まちがったことがないのに、脇柱に行く、足が、どっちからだっけ、と、一瞬、足が動かない。うーん、ほんと、見られるというのは、かくのごとき化学反応を起こす。ある狂言師が、一番つらいのは、後ろに師が控えていて、動作・声をチェックされるのこと、と言っていたが、多分、それと、同じ。
謡(主役、脇役、地謡(バックコーラス))では、ワキをやってくれる人を謡をあわす。1年前に入門してるんだけど、うまくなってるな、師が地謡担当。こちらは、ワキがいるせいか、つーか、自分一人じゃないせいか、上のような化学反応は起きない。やっぱり、見られるのとはちがって、聞かれてるってだけだからか(^^ゞ
謡が終わって、仕舞をもういちどさらおうか、って言って下さるが、稽古をまってる人がいるので、遠慮して帰る。さっき、稽古が終わってほっとしてるのに、もう一度といわれると、拷問が終わって、ほっとしているのに、もう一度始まるのに似ているか(<<そんなのにたとえるな!!)

仕舞は、シテ(主役)が舞ってるんだから、ええぇい、謡も、おいらに合わせて、やっとくれ、って思ってても、根が小心者だから、ついつい、謡にあわせてしまう。ところが、謡は、おいらの動作が遅いときは、ゆっくり、早いときは、より早く、動作にあわせてる(だから、この地謡は、能を知り尽くしたプロが担当)、おいらのは、謡がゆっくりなったら、あわせるようと、さらに、ゆっくりになってる。うーん、困ったもんだ。

ここんとこ、自習をサボっているので、ホント、自分で、自分の仕舞、謡がいやになる。ほんと、どうしよう。

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2005.05.06

「対話」してみませんか

「NHK日本語なるほど塾」NHKTV2004年6月のテキストにある、ゲストは劇作家・演出家平田折オリザ。平田オリザの作品は見たことがない。ビデオは持っている「火宅か修羅か」(壇ふみさんのお父さんがモデル)。それと、ワークショップを記録したもの。静かな演劇として一時代を画しているけど、日常をそのまま描いて何がおもしろいねん。と興味はあるけど、とおりすぎてました。「その河をこえて、五月」@日韓友情年2005記念事業、今度近くの劇場にくるので見に行きますが。

「本とか買って」の「とか」表現は女性のもので、女性が、上司として、部下の男性に命令するか対等の言葉を使うとき「ね」「よ」言葉をやめた。それにかわって「とか」で婉曲表現をしている。
「見れる」(「ら」抜き言葉)は、可能、受身、自発、尊敬の「ら」を可能の場合だけ「ら」を抜いて表現しようとしているもの。
「日本語は他人に話しにくい言葉である」韓国語も激しい敬語の国だったが、サッカーではフィールド内では、「敬語を禁止した」。「@@先輩パスします」なんていってたら試合にはなりませんわな(^^ゞ
たとえば、戯曲で、
座り合わせた旅客に
「旅行ですか?」って台詞が役者にとって、発語しにくい、で、演出家は何やってんだ!内面をほりさげろ!と怒鳴る。しかし、「日本人は人に話しかけないないので」これがむつかしい。デ、演出的に解決するには、旅客に旅の雑誌を持たせて、発語者の興味を沸かすようにして言葉を出させる。
対話は、お互いに知らない=異なる価値をもった人が、理解しあえる部分をさがすということ。敬語を巧みに使うよりも、過度の敬語を使わなくてもいい対等な社会を、女らしい言葉を身に付けるよりも男女が対等な関係である社会をつくること。とつづく。
平田オリザの本を読んだけど、このテキストが一番わかりやすかった。

おお、そうだったのか、平田オリザの世界から、永井愛さんの「ら抜きの殺意」まで理解できたぞ(笑)。

ps 人は、言語体系=コードがちがうので、あっているところを探りあう(コンテクストのすり合わせ)、演劇にはこういう力があると言う。ふーん。

それと、助動詞は、ひとつの助動詞に、ひとつの意味という具合に整理統合されてきている、とういうこと。企画書で「わが社の売り上げは3倍になりけるかも」って書いても、「意味、わかんねぇ」とことになりますわな(^^ゞ。

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他流試合

いとうせいこうvs金子兜太対談集 新潮社刊
前衛俳句の旗手っても、金子さん86歳だもんな。学徒出陣の時代に戦争いってはるから。
いとうせいこうは、萬斎さんの新作狂言も書いてる(「鏡冠者」)。
「切れは俳句の命である」 
「俳句は挨拶の心構えでつくる」うーん、俳句のもともとは連句の発句が独立したもので、発句は、いやぁ、いいお住まいで、いいところで、なんてので、つくるから、この心構えを忘れてはいけない。
「ひっくり返しでよくなる」
「俳句に流れる荘子の思想」

風が竹林を抜けて青くなる→風竹林を抜けて青し→竹林を抜けて風青し
バルコニーで文庫一冊分の陽やけ→バルコニー文庫一冊分の陽やけ

うーん、矢印の従うにしたがってよくなってる(^^ゞ

で、句はいずれも、文頭にあるのは、伊藤園の新俳句大賞の入選句。
(ちなみに応募数は100万句!を超える)

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2005.05.05

レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語

E・A・ポーの短編小説に、「うずしお」だか「メイルシュトローム」海に投げ出された男が、うずまきに巻き込まれる。うずがおきてる時間は一定だから、うずの底に達するまでの時間を遅くして助かろうとする 短編があったが、それに近い味わいの映画かな。

一度は、3人姉弟が、線路の上の車の中におきざれにされる。弟の鉄道の知識+姉の技術力で死を回避する。2回目は、動物学者が、毒蛇で殺されたという誤った知識を、2歳の赤子がその蛇は、邪悪なものではないことを当の毒蛇を戯れることによって見破る。3回目は、悪人に叔母さんが襲われ、海辺に突き出た家が海に落ちてゆく危機を、弟が、叔母さんの遺書に隠された暗号を読み取り、叔母さんを捜す。また、家が海に落ちる前になんとかするのは、姉の技術力。

最後、姉が悪人に、結婚を強制されるのを、姉はあきらめるが、弟はあきらない。ってな具合に3人のチームワークで生き延びてゆく。この2歳の赤ちゃん、赤ちゃん言葉なんだけど、人を判断するし、危機に動じないし、うーん、えらい。噛み付く能力を持っている。咀嚼力を象徴しているのか(^^ゞよくわかりませんが。面白かったです。

ダスティン・ホフマンは、最後の演劇舞台のときに舞台批評家として一瞬でてきます(^^ゞ

ポーの小説は、高校くらいに読んだかな。それからすると、中高生向きかも、この映画(^^ゞ

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舞台は語るー現代演劇とミュージカル

集英社新書 扇田昭彦著。 この間旧家においたままになってる本を整理してて読み出した。で、整理は、またの機会になってるけど(^^ゞ
小劇場(唐、鈴木忠志→(蜷川、つか、別役、清水)→野田秀樹、鴻上尚史→永井愛、平田オリザ→坂手洋二、鐘下辰男、松尾スズキ
  途中、福田善之、井上ひさし、青い鳥イッセイ尾形等々。。。。
と見てきた芝居がうまくまとまっているので、あーそうだったのかと。で、もう一回読み直してるのは、途中、ジャズピアニスト小曽根実が、舞台でピアノを弾いていた、この舞台と演出者を調べようとしてるから。たしか、どこかに書いてあったのに。。。。違う本かな。
日本劇作家協会会報「ト書き」37ってのに渡辺えり子さんと山崎正和が対談の中にでてくる「20世紀」の舞台のことでした。で、この雑誌の表紙の麻実れい@「20世紀」、うーん、天海ゆうきに似てるな^^;

ミュージカルも和文脈(スター中心に日本に根付かそうとする、レミゼ等)、欧文脈(四季)、ブレヒト系(井上ひさし、福田善之、「上海バンスキング」等々)。だいぶ頭が整理されました。
tptの「マッチ売りの少女」の久世星佳は、よかったって書いてある(ホウホウ、扇田さん、やっぱりそうでしょう、とおいら、舞台見てないのに、相槌を強いたりしてますが^^;)

ps JR事故で、JRの社員が、ボーリング大会をやっていたとか、事故の電車に乗り合わせた社員が、そのまま事故を手助けせず、仕事場にいったとかが非難されている。

なんか、大葬の礼のとき、歌舞音曲が禁じられたのと、同じように、人に過剰な倫理観を強いるように、感じる。
新聞は、 JRの経営者が負う責任が何なのかを論理的に追及してほしい、と思う。
電車に乗っていた人が犠牲がナゼ起こったのか、JR経営者の構造的責任を問う切り口がみあたらず、カラオケ等に行った社員のことを情緒的にもちだしてるんじゃないかってかんぐってる。新聞も人の情緒に訴えるのではなく、JRの経営体質の責任を問うてほしい、とおいらは思う。
もっとも、おいらは、ただ、「こんなときに、芝居なんて見て!!非国民」なんて時代がこないように祈ってるだけなんですけど^^;。

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2005.05.03

現代短歌そのこころみ

中井英夫が発掘した中城ふみ子、石川不二子、寺山修司を取り扱った「1954年の衝撃」から始まり、「中井英夫の死」をもって終わる。取り上げられている歌人は、村木道彦、葛原妙子等、宮柊二等、岸上大作、岡井隆、塚本邦雄、村上一郎、台湾万葉集にあげられた台湾の歌人、石田比呂志と穂村弘、上田三四三、斉藤史等々。
私は、村上一郎の著により、馬場あき子、斉藤史さんの歌を知ったのだと思う。武士の修行者、求道者のような石田比呂志が、穂村弘の歌を全否定するのが面白かった。
@潔き貧などありや帰り来てしめる畳の上に座りつ 石田
@「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」 穂村
これだけちがやーねぇ。でも、歌に命かけてるってのは、日本の私小説みたいで、私小説がはやらなくなったように、いずれなくなるかな。それとも、歌は極私的日常を歌うから残るかな???
かの昔前衛短歌論争があったころがなつかしい、今、新聞の投稿歌壇は一般読者は読まないだろうし、部外者が、歌論を書くこともない。部内社での印象批評で終わっているのではないか。ところで、ネットで作歌するひとは膨大な人口になってる。だれか、丸谷才一みたいな評論家が、歌集を編んで、評論活動をしてくれればとも思う。中井英夫はまさしくそういう人だったんだし。
戦後(って第二次世界大戦のこってす。昔、日本はアメリカと戦争してましたんや(^^ゞ)歌がほろびるかと思われてる時期もあって、そのとき、茂吉が、明治維新後歌が滅びるって言われた時代を想起してます。
今の、みんなが、ネットで短歌を発表する時代、このエネルギーをまとめるには、これを、評論する人が絶対いると思う。小説は言わずもがな、歌舞伎、演劇、ダンス、にも評論はあり、広くは、経済政策、なんかでも、評論はあるんだし(^^ゞ

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現代短歌そのこころみ

NHK出版 関川夏央著
以前、友人と、メール交換で、連句をものにしたことが何回かある。新しいパソコンに残っているのはつぎのもの。(575とおくり77とつけ、これを繰り返す)。相手のものをけなし、己のは最大限に誉める「」をつけてのやりとり。
@風ふっふっははははははの老いの秋   章魚
  @そこ退けとかかし大名顔で        悠
@あら無惨なや稲を刈る人盗む人     章魚 
   「待望のハーレーは明日手に入る予定で、うれしい限りでござんす。旅に出たいな、遠出の旅」
    @ともかくも月比良の山に入る      悠      
「おいちゃん、場面につきすぎ、かかしだから。場面を転換させてね。あら無惨、、ばせうにありましたな?、兜のしたのほととぎす。バイクで走って、頭の切れをとりもどしてね。は、は、は。稲を育てる人も、盗む人も超越した月のさえ、さむざむとした月。悠亭は、わびさび、幽玄を己のものとしておる、付け句のさえを楽しまれたし。まー平成の芭蕉ってよんでね。は、は、は(呵呵大笑)。」 ってのやって、俳句の座の楽しみを追体験したことがある。で、この連句、ネットでもやられているが、相手をけなし、自分を誉めるところまでは、ネットだと気をつかうよねって思う。やはり気こころのあったものでないと、という気がする。で、この本で、「短歌」での座が「短歌パラダイス」(岩波新書)でやられていることを知る。これもなかなかおもしろそうである。 和歌ももともとこういう芸があり、俳句ももともとは連歌からはじまってるんだから短歌もこういう座があっていいと思ってた。ネット短歌の状況を知る。歌人穂村弘がすすめている短歌はこの座を取りもどすこころみに近いかもしれぬ。 で、「現実入門」(光文社 穂村弘著)を読む。が、こちらは、散文だけどつまらなかった(^^ゞ 。ネットでの作歌は、つぎのHPみると参考になる。      http://www.sweetswan.com/yp/

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