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2005.05.06

「対話」してみませんか

「NHK日本語なるほど塾」NHKTV2004年6月のテキストにある、ゲストは劇作家・演出家平田折オリザ。平田オリザの作品は見たことがない。ビデオは持っている「火宅か修羅か」(壇ふみさんのお父さんがモデル)。それと、ワークショップを記録したもの。静かな演劇として一時代を画しているけど、日常をそのまま描いて何がおもしろいねん。と興味はあるけど、とおりすぎてました。「その河をこえて、五月」@日韓友情年2005記念事業、今度近くの劇場にくるので見に行きますが。

「本とか買って」の「とか」表現は女性のもので、女性が、上司として、部下の男性に命令するか対等の言葉を使うとき「ね」「よ」言葉をやめた。それにかわって「とか」で婉曲表現をしている。
「見れる」(「ら」抜き言葉)は、可能、受身、自発、尊敬の「ら」を可能の場合だけ「ら」を抜いて表現しようとしているもの。
「日本語は他人に話しにくい言葉である」韓国語も激しい敬語の国だったが、サッカーではフィールド内では、「敬語を禁止した」。「@@先輩パスします」なんていってたら試合にはなりませんわな(^^ゞ
たとえば、戯曲で、
座り合わせた旅客に
「旅行ですか?」って台詞が役者にとって、発語しにくい、で、演出家は何やってんだ!内面をほりさげろ!と怒鳴る。しかし、「日本人は人に話しかけないないので」これがむつかしい。デ、演出的に解決するには、旅客に旅の雑誌を持たせて、発語者の興味を沸かすようにして言葉を出させる。
対話は、お互いに知らない=異なる価値をもった人が、理解しあえる部分をさがすということ。敬語を巧みに使うよりも、過度の敬語を使わなくてもいい対等な社会を、女らしい言葉を身に付けるよりも男女が対等な関係である社会をつくること。とつづく。
平田オリザの本を読んだけど、このテキストが一番わかりやすかった。

おお、そうだったのか、平田オリザの世界から、永井愛さんの「ら抜きの殺意」まで理解できたぞ(笑)。

ps 人は、言語体系=コードがちがうので、あっているところを探りあう(コンテクストのすり合わせ)、演劇にはこういう力があると言う。ふーん。

それと、助動詞は、ひとつの助動詞に、ひとつの意味という具合に整理統合されてきている、とういうこと。企画書で「わが社の売り上げは3倍になりけるかも」って書いても、「意味、わかんねぇ」とことになりますわな(^^ゞ。

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コメント

私、よく話し言葉のつもりで「○○とか」って短歌で
使っちゃうんですが、師匠に「とか」は余分!!って
言われちゃいます(笑)不要な言葉をどんどん捨てていくという
作業が必要ですよね。短歌でも俳句でも☆

投稿: アゲハ蝶 | 2005.05.07 11:01

余分な言葉をそぐことによって、句にイメージが広がる。て、のがありますね。どうも、作る側としては意味を一義的に伝えたいってのがあるんですが、これがあかん、もっと、読者にまかせてみろ、ってのあるみたいですね(^^ゞ。

投稿: 悠 | 2005.05.07 23:38

おもしろいと思いました。>平田オリザさんの解説。
「~とか」というのは、つい使ってしまいますが、自分は、できれば違う言い方をしたいものです。(そう若くもないので>あんまり関係ないですか?)
短歌や俳句、和歌などには、疎いのですが、できる方のを拝読するのは、好きです。
学生時代「原典講読」(だったと思う)の授業で「花伝書」を読みました。これは「歌」ではありませんが(汗)。能楽堂へ課外授業に行ったことも思い出します。

投稿: あかん隊 | 2005.05.08 00:13

あかん隊さん、コメントありがとうございます。
「花伝書」、能楽堂で課外授業ってのに反応してます(^^ゞ。おいらは、研修してたとこで、能を見せてくれましたが、当時は、眠くって眠くってでした(笑)。

投稿: 悠 | 2005.05.08 10:10

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