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2005.06.20

パルタイ@倉橋由美子

さきごろ、倉橋由美子が亡くなった。気になってはいた作家ではあったが、江藤淳が嫌ってたので、本は知ってたけど、読まなかった。高校生のころは、江藤淳が朝日新聞の月刊書評を担当してたと思うけど(記憶自信なし??) 本を眺めたことはあるが、都会的で、おいらのような田舎で育ったものには、なんだか、、、ってのがホントかもしれない。 「パルタイ」を読み直してみたら、お、カフカの小説みたいではないか、当時は、党を表すパルタイってだけで、毛嫌いされたり、なんとかしてたと思う。 「大人のための残酷物語」たとえば、白雪姫とか、一寸法師とか、ちょっぴりHな内容でもある。教訓「愚か者が幸せになることはありません」@白雪姫等も、反世俗的である(どだい、こんなので教訓を得ようと言うのがまちがってます(^^ゞ) 「手作り」ってのも、こうして作られたものは、心がこもっており、心がこもっているものはたっとい、ってなのを、「やっぱり、能力、作品の出来が重要」と、からかっている文書(小説論ノート@「あたりまえのこと」)にであうとホットする。
まー昼間から、パチンコ屋で、パチンコ打ってる連中も一生懸命なんだから、「一生懸命やってるってだけで、価値はないぜ」ってのと同じか(^^ゞって、世間から非難がきそうだけど。こういう、日本にはめずらしい感性の人の死を悼む。

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コメント

倉橋由美子
原田康子
安部公房
(字、合ってるかな?)
は、私の最も苦手とする作家です。
ホント、難しすぎてわけわからん。
でも、有名ってことは支持者が多いってことで・・・・。
実際の話、あんなに観念的で難しい話を、みんながみんな理解できていたのでしょうか。
「面白い」って感じたんでしょうか。
(「わかる」って言わなきゃカッコ悪かったんじゃないのか、と少し疑っている)

日本の文芸って、何かというと「ストーリーテラー」や「エンターテイメント性」を軽んじて、観念や描写ばかりを重んじている気がするんだけどな。
「純文学」の「何でもない人のさりげない日常」なんて、何が面白いのかさっぱりわからないよ。
カネ出して小説買ってくれる人に、夢や希望を与えたり、感動させたりして、ナンボじゃねーの、って思うワケ。
でもそれってやっぱ、俗物的でアタマわりぃってことだよね。理解できる範囲が狭いわけだから。

関係ないけどさ、きのう瀬戸内寂聴さんと山田詠美さんの対談を読んでいたら、ふたりが
「自分は普通の人と『恥ずかしい』と思うところが違っているからよく攻撃される」
というところで、すごく盛り上げっていました。
その中に
「妊婦は、見るだけで恥ずかしい」
というのがあって、私は
「なぬ、世間の人は、妊婦を恥ずかしく思わないのか」
と、のけ反ってしまいました。
私は、妊婦自身も周囲の人も、恥ずかしさをごまかすために、
「世の中で最も神聖な姿」
などと、すり替えて美化しているのだとばかり思ってた。
親に「妊娠しました」って言うのも、「あの姿を想像されることはカナンけど、お互い様でしょ」
って開き直って、もしくは内心羞恥心で泣きそうになりながら、報告するのだとばかり・・・・。
男性だって、妊婦姿の妻に同行しているとき、
「はい、このでかいハラの原因は、オイラです。ええ、ええ、悪うござんした」
って、少し小さくなって歩いているんだとばかり。

悠さん。
本心を教えてちょ。
「妊婦」って、本当に、ほんとーに、恥ずかしいと思う対象ではないのでしょうか。
私には、寂聴さんも詠美さんも、フツーの感覚だと、思えて仕方がないのだけれど・・・・。

投稿: | 2005.06.21 02:51

O嬢さんだと思うけど、過激ですな(^^ゞ
「パルタイ」読んでみたら、文庫本で何ページかの本だけど、今、読むとおもしろかったよ^^;。
妊婦がはずかしい、、、、倉橋さんが、どっかで、「恋愛小説」って、当人が錯乱してるだけ、客観的にみれば、愚劣としか、いいようがない行為であるってなことを書かれているので、その感覚に、近いかな(笑)
妊婦さんって、でも、最近みなくなったよ(^^ゞ
おいらは、普通のことは世間にあわせてます(^^ゞ

投稿: 悠 | 2005.06.21 11:00

ごめんね、名前を書くのを忘れていました。

倉橋さんのそのコメントは、昨日(?)の新聞にも載っていましたよ。

それはさておき。
「過激」って、倉橋・原田・阿部考に関してかな?
それとも、「妊婦姿」についてかな?
「過激」って言われるところを見ると、やっぱ、世間では「神々しく美しい姿」なのでしょうね。
それか、「恥ずかしい」とか「美しい」とか、考えることもないか・・・・。
でも「過激」っていうまとめ方を聞いて、ちょっと寂しく思いました。
そういう意気込みで書いたんじゃなかったので。

私は「大声で笑いながらしゃべっているおばさんが、会話相手と別れた直後に見せる真顔」にたまたま遭遇したときも、「恥ずかしい」って思ってしまいます。
それから、おじさんが冗談を言って、その後でちらっと、誰かの目をすがるように見たときも。
その人たちの行為に、というより、その場の雰囲気に、自分が恥ずかしくなるんだけどね。
だから、無関係なのに、自分の方がこそこそ目を伏せてしまうのです、はい。
この「見ている自分が恥ずかしい」という感覚をだれもわかってくれないとしたら、それはそれで恥ずかしくもあり哀しいものでもありますね。

投稿: O嬢 | 2005.06.21 16:02

>、「恥ずかしい」って思ってしまいます。
倉橋さんの本、新たに読み直して、この方、考えは過激(=一般的ではない)なんだけど、恥ってのをよく考えてた人だと気がついた。「パルタイ」なんかも、おう、おう、パルタイなんて公言して、大層にするのの恥ずかしくないかい、私はいやだよ、ってのに近いと、思う。おいら、好きだよ、倉橋さん。

投稿: 悠 | 2005.06.21 17:43

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