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2005.06.14

私はヒットラーの秘書だった

トラウデル・ユンゲ著@草思社 2004-1-28
1942から1945・4・22までヒットラーの秘書だった人の手記。
「狼の巣」とよばれた本営ー山荘ー防空壕での生活。

ヒットラーが人の心をつかむのがうまい。秘書採用の時点から彼女はカリスマを眺める目で、ヒットラーを見ている。ヒットラー暗殺未遂事件で、いつも、頭を撫で付けているヒットラーの頭の毛が逆立ち、ズボンが腰蓑みたいになっているのをみるころまでは。
ヒットラーは、夜、サロンのように人を集めて雑談していた、会話が楽しみだったんだ。映画・演劇好きだったのに、なぜか、本営での映画は見ない生活ーまー禁欲的でしたんやろうね。

ビックリするのは、ヒットラーが、米英、ロシアが攻めてきており、帝国が崩壊するのに、この様子をしろうとしなかったこと、自殺に際し、次の指導者、閣僚を指名していること、--うーーん、やっぱり、情報はシャットアウトされると危険なんだー、自分は天才だと信じている様子がかかれており、本当に帝国の存続を疑わなかったのだろうか。おいらは指導者の情報収集力はすごい、情報に基づく判断は正しい、って思ってるけど、ちがうんだね。

ヒットラー死亡、帝国崩壊後、逃げる秘書たちが、ロシアに捕まるより、米英につかまろうとするところ、実際、注をみると、米英につかまった連中の方が刑がかるそう、最後まで、頭を働かせて選択しなきゃって思います(^^ゞ

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コメント

TBありがとうございます!
悠さんもお読みになったんですね! しんどくなかったですか?>翻訳文
トラウデルのお母さんは、「母親の勘として、ナチスの本営に勤務することに、危険や不安を感じ取っていた」というようなくだりがありますね。母親のこういう時の勘って、すごい!と思いました。
ロシアは文明圏ではない、という認識でしたし、不可侵条約を先に反故にしたのはドイツですしね。なんたって「血の粛清」とも言える「ロシア革命」を経てきてますから、そりゃ残虐でしょう。大戦末期、日本への宣戦布告だって、ずいぶんだと思うし、シベリア抑留者は、どんだけたいへんな思いをしたか…。その点、イギリスやアメリカは、ロシアに比べたら文明圏だったでしょう。国際法も守るつもりでいたと思いますケド。(だけど、東京裁判では、ちょっとね~。いろいろ物議を醸しましたけど)

投稿: あかん隊 | 2005.06.14 22:57

翻訳文苦手なんですよ。もっと、うまく、せめて映画の字幕程度に訳してほしい(^^ゞやっぱり、西洋=文明国っていう親近感あるんですよね。
そうそう、直前、お母さんのところへ戻ったとき、にげろよ、もどるなよ、って思いました、私。

投稿: 悠 | 2005.06.14 23:03

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読みました。翻訳本の文体は、苦手です。読みにくいです。仕方ないです。ドイツ語を読 [続きを読む]

受信: 2005.06.14 23:07

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