クローサー
そうだ、この映画で、アリス(若い女)、ダン(記者)、アンナ(写真家)の3人の物語とすると、アリスとダンは恋に落ちる、でも、満たされないダンは、アンナに恋し、アンナは、ダンに恋しながらも、医師と結婚しながらも、ダンと不倫を続けるって物語なんだ。アリスだけが、男女で、互いに隠し事なく過ごそうとし、もし、真実があらわになって、男女の関係がダメになったら、それはそれで仕方がない、と思っている。ダンとアンナは、互いに結婚してしても、どこか、満たされないものがありながら結ばれている。
こういう物語なんだ、これは、普通だ(ってこともなく、まーよくあるって意味で)。
ところが、変態とも思えるラリー(って映画の感想多かったですが(^^ゞ)がはいって、じゃ、性は?ってすべてに問いかける。このラリーがノイズなんだ。
このノイズが入って、はじめて、アンナーダン ダンーアリスの恋物語が現代の恋愛として理解できる。そういう構造になっているのだ。まーオートバイ乗ってる子が音を出さないと乗ってる気がしないってんで、音をだす、それに似てます(^^ゞ
わからないけど、引かれるってのは、ノイズをいれるダン、ダン=ノイズが入って、はじめて、現代の恋愛が分かるって構造になってるからだと思う。日本人には、あからさまなダンは、ノイズ過ぎるかもしれない。でも、ダンがいないと、せいぜい、渡辺淳一の小説みたいなもんだったんだ、この映画(^^ゞ
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コメント
ややこしい話のように見えて、そうでもないかもしれないと思ったこの映画。なんだかなー、という気持ちしか残らなかったような気がしてます。自分の「倫理観」が、邪魔して(爆)。
投稿: あかん隊 | 2005.06.15 22:01
ダンが出てこなきゃ、単純な筋なんですよね、絶対、ダンがノイズ過ぎます、日本人には強烈で、クローサーの訳者あとがきで、「風俗上相応しからざる表現が頻出する。。。やむをえず。。」なんて書かれてました(^^ゞ
投稿: 悠 | 2005.06.15 22:26