王女メデイア
(劇団)ク・ナウカ
笑いに出てくるのは、等身大の人だ(えらい人も、等身大まで貶められる)。で、笑いの次には、悲劇、普通の人じゃない人がみたくなる。ってんで、見てきました。
(あらすじ)ギリシャの王子イアソンは、アジアへ遠征する。イアソンにこころ奪われたアジアの王女メデイアは、父を裏切り、イアソンに力をかす。
ギリシャに帰った二人には、子供も生まれるが、叔父の謀略で、イアソンは失脚する。イアソンは、土地の王の娘と結婚し王になろうとする。王は、メデイアの報復を恐れて母子もろとも追放しようとする。しかし、メデイアは、王、王女、自分の子を殺し、イアソンの野望をくじき、イアソンに絶望を味あわせる。
ク・ナウカの「王女メデイア」は、演じるのは、すべて女性。声を出すのは、男性。
料亭の広間に、裁判官が着る法服をまとった男たちが入ってくる。
女たちは、料亭の女中の着物を着ており、役が与えられると、着替えする。
メデイアは、チョゴリを着ている。イアソン、王は、明治時代の軍服を着ている。
ギリシャ悲劇のことば、アジアをさげすんだり、女をさげすんだりすることばが、日本人が朝鮮人をさげすむように、また、日本の男性が女性をさげすむようにも響く。
夫の裏切りに、わが子を殺すメデイアが悲劇の主人公です。
アフタートークで、法服の意図を聞いたら、ロジック、言語を使用する究極として裁判官をおもいついたというのが、演出家の答えでした。また、チョゴリの着心地について、メデイア役さんに聞いたら、和服と違って足が自由に動かせ、三拍子がとりやすいってことでした。
声を出す方は演じたいという欲望、演じる方は声を出したいという欲望を禁じられた緊張が舞台の緊張を生み出すとのことでした。(この方法では、喜劇は無理ですよね(^^ゞ)
舞台では、演じているとき、頭は別のことを考えたりしていて、また、逆もある、そういう生理に忠実にしたら、こういう演出になった、ということでした。
おいらは、日本の語りの伝統の現代での形って感じで、こちらの方法、違和感なくも面白かったです。外国(西洋)の語りってのは、誰かになりきって語るので、何人も落語みたいに、熊さん、はっつあん、大家とかを演じわけないそうです(演出家さん談)。
8/9追記 週刊誌に、義父、妻、子供を殺した事件があって、義母は殺さず。義母を恨んでおり、義母に、すべてをなくした感情をあじあわそうってのが犯行の動機と書いてあった。メデイアがイアソンに、自分の子を殺してまでもあじあわそうとする、感情に似てますね^_^;。
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コメント
拙拙と進まないブログをご覧いただきありがとうございました。びわ湖ホールで嵐徳三郎丈のメディアを拝見したのは,1999年10月でした。このごろ,ク・ナウカ版見逃しております。(_ _ )/ハンセイ
びわ湖ホールで嵐徳三郎丈を拝見したのは1999年10月。次世代に目を向けることを痛感します。でも,忘れません。
投稿: とみ | 2005.09.19 23:13