日本型ポピュリズム
2003-08-15刊 中公新書 大嶽秀夫著
1990年代末と2000年初頭の自民党政治の検討ーこれと関連してTVの変貌を考察するとある。
ポピュリズム「レーガン」@米大統領と小泉総理
★政治を、利害を調節する場としてではなく、善悪の対立、しかもドラマとしてみる、「小さい政府をめざす」「民にできることは民に」という言葉の繰り返し
★レーガンが、アメリカが神によってえらばれた国+外的の脅威を説き、国民に自信を与えるメッセージをもっていたが、小泉には、これがみられない。
二人ともTVを利用する政治家であるが、
★米では、新聞が、TVの批評や、解説をするのに、日本では、新聞は、系列化にTVを置いており、TVに対する批判が弱い。
★日本のメディアは、視聴者にこびる体質がつよい。(田中元外相時代の、田中真紀子をいじめれるな、という市民の声をおもいだせば、そうかな)
★日本の場合、TVの意見は権威をもって受け止められる。◇
(日本の場合は、ポピュリズムに対する抵抗が不足しており、時間がたって、「飽き」て、交代をまつしかない。)
著者の結論は、善悪二元論に固まった世論より、「現実主義」的に政策を吟味するときがきている、というものである。
本棚を整理していて、読み直したというか、昔買った本を読み直したんですが、意外に今を考えるのに、ヒントを与えてくれる本でした。
ここ10年、政党がくっついたり、はなれたりして、議員の数合わせにはしったのは、選挙に立候補するというリスク==落ちると、元の仕事にもどれない、借金を背負う==の負担にたえれる人がかぎられており、候補者を確保できなかったって指摘が、おいらには、面白かった。
この著者の「日本政治の対立軸」(中公新書)は、なぜ、ヨーロッパで社民政権が成立した時期に、日本の社民勢力が、政権をとれなかったを分析するものだったけど、もう一度、読み直すか(^^ゞ
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コメント
こんばんは。
すごく気になる考察ですね。日本ほどTVの影響が大きい国は、あまりない…という意見を聞いたことがあるのですけど、「媚び」が原因なのかもしれませんね。「媚びられると、嫌な気持ちはしない…」ってのもあるかな、と。
2年前で、こうだったとすると、それまでも、ここからもあまり代わり映えしていない、ってこと? 「良い」「悪い」というカテゴリではなくても、なんでも白黒つけたい気分(二極分化)にしてしまうような空気があるような気がします
投稿: あかん隊 | 2005.08.19 02:31
あかん隊さん、おはようございます。
なんか、白黒ってわかりやすいですもんね。
経済がうまくいけばいいのですけどね(^^ゞ。
TVの利用がかわったのは、98年の選挙。小沢さんが、殴られるCM、神崎さんの「いかんざき」という親父ギャグのCMあたりからだそうです(いわれればねぇ)。
投稿: 悠 | 2005.08.19 06:48