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2005.09.30

エレニの旅~その2

印象に残った場面。
■義父が、難民が宿屋とする劇場の舞台で、「エレニ!」とさけぶ。
■干されたシーツの合間から音楽が聞こえてきて、エレニ &恋人が近づいてゆくと、合奏がはじまる。
■エレニの編みかけのマフラーをの糸の端をもって、船にのる、糸がなくなると、 アメリカにわたった恋人から来た手紙がナレションでながれる。これて、二人が出会う最後なんですよね。
■父の死に、イカダで、河を渡る、木に羊がつるされている。息子が戦場で、母が死んだと聞かされて話し合う場面、焚き火の周りを、イコン(多分)をもって踊る婦人、汽車の音等。

これって、現実に起こってることではないんですけど、舞台でも、できないし、映画だからできるんだろうな。(他にも、エレニの息子が死んで廃屋になくなっているんだけど、まるで、寝ているような姿(ほんとなら腐敗してると思うんだけど)の場面があった)
エレニに降りかかる死、苦を受け止めるエレニ。うわごとでしゃべる、監獄での話。上質の無言劇に音楽ってな感じなのに、ここだけ、モノローグで饒舌。

集団で、住んでいるところをおわれるって体験は、日本国内ではないし、内戦なんてないんだけど(あ、西南戦争は内戦の最後だ(^^ゞ)、これに翻弄される人々が、水、河、流れるってイメージになってました。
字幕翻訳の池澤夏樹さんって、おいらたちには、おとうさんの福永武彦の方がなじみがある。堀辰雄ばり(たしか?)の小説家だった。

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2005.09.29

竹内敏晴さんのワークショップ

日本吃音臨床研究会(JSP)ってとこから、送られてきたB4・3枚程度のパンフレットに、竹内敏晴さんが、おいらの県でワークショップをやるって書いてた。え、え、とさっそく問い合わせました。「ダンスがはじまるとき」って表題がついてました。香瑠鼓さんのダンスについて、この間書いたとこだし、これはと、シンクロ二ティを感じて、、、、(笑)。「すいません、一日しか参加できないんですけど、いいですか」「どうぞ」(これおいらと、スタッフの方とのやりとり)

竹内さんは、「夕鶴」(例の山本安英)の演出もされたことのある方で、もともとは俳優用のレッスンだった、体をときはなつ、精神をときはなつ、レッスンをされている方。おいらは、ある年集中的に通ったことがある。でも、ほんと、何年かぶりなんでどきどきしてます。。。

竹内さんのレッスンを受けていると、たとえば、「呼びかけ」ってレッスンがあるんですけど、一人が、向こうにいる人にたとえば「こんにちは」と呼びかける声が、その人に本当に届いているか、を体験できます。人が身につけてきたものが、本当に体、声となってる、じゃ、それを逃れるには、どうする??ってな感じのレッスンかな。

ちょこっと、竹内さんの宣伝を~っても、戯曲「奇跡の人」の読み直しなんですけど。
http://ssss.jp/~etal/finished/



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読書日記2005-09-29

■長期不況論(松原隆一郎@NHKブックス2003-5-30発行)
レコードやCDの世界の一人勝ち現象が、PCの技術ーこの場合は、複製技術によっていること、これは、2番手と1番手がひらきすぎることなんだけど、これによって、そこそこのラーメン屋@「亀は意外と速く泳ぐ」が消えてゆく運命にある、本の世界では少部数しか発行されない本が出版されないことになると聞くと、いいことではないんじゃない、なんか、かんがえなきゃって気が起こってくる(おいらが考えたってしょうがないんだけど)。

それと、デパートの売り場面積拡大は、イコール売り上げ増につながっていない、ってデータがのっかってて、そうか、やっぱり、小さいところで、品揃え豊富、コストパーフォーマンスのいい、コンビニの方が効率がいいんだ(^^)

■あの戦争はなんだったのか(保坂正康@新潮選書2005-7-20)
陸軍が戦争を推し進めたってなってるけど、海軍も、陸軍が国民の支持を得ていてあせって、戦争に賛成したなんて指摘がある。印パール作戦は凄惨な負け戦なんだけど、これを指示した牟田口司令官は、その後順調に出世している。負け戦の総括が「戦闘意欲がなかったからだ」(著者も開いた口がふさがらないって書いてます

■日本のインテリジェンス機関(大森義男@文藝春秋2005-9-20)
情報に対するリスペクトがない国ー日本ってのはよくきかされる。なんか情報ー工作ってのを、「姑息」って軽蔑する風土があるかもしれない。
小泉首相の訪朝について、「(情報を判断せず)衝動的に動き、秘密裏に深い検討もなく重要政策をきめるから、おおむねは破局にいたるというのが、、、、クラシックジャパンである」アメリカの日本通の証券アナリストの評価を引用している。著者は、警察出身で、内閣情報調査室室長の職にあったひとであるが、「21世紀の日本は米中両国といかに適正な関係を保つかがカギである」と述べていることである。日米戦争のとき、「適性語の習得を禁じた」愚を犯してはいかんやろうと思う。井上ひさしの芝居に「戦前の日本が、アメリカと本土決戦したら勝つ理由として、『やつらは、しゃがんで用をたさないから、足腰が弱い』『女性に弱いから、戦争なんていかないで、チュなんてやられたら、戦争なんてできない腰抜けだ』なんてのを宣伝してたってのがありますが、日中関係おだやかでないときこそ、中国の情報だけはあやまらず伝えてほしい。

って戦争関連本が目につくし、「エレニの旅」「ロングエンゲージメント」「ヒットラー、、、」とか、お芝居でも、坂手さんとか、井上ひさしさんとか、戦争ものが目につくし、やっぱり、世間は、「戦争」@無意識の影がおおってるのかも。

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2005.09.27

エレニの旅

あらすじは、長い。公式ガイドかなにかでみてくだされぃ(^^ゞ。

主人公のエレニが、少女時代に、養父にしられないように双子を出産し、家に戻ってきていう言葉が「水を、、」、恩人の反政府運動者をかくまった罪で監獄に入れられて戻ってきたときも「水、、、」。その水は、「葉から水が落ちて河になる。。。」まるで、加島祥造訳の「タオー老子」みたいだけど、難民がつくった村を水没させるのも水だ。

ロシア革命で父母を失い、放浪する義父の血族にすくわれるが、この血族は、おきてをやぶったエレニがとどまる家に石を投げる集団である。

エレニが産んだ双子は、敵味方に分かれて、ふたりとも、戦死する。

干された、白妙のシーツは、喜びをあらわしたりするが、恩人は、このシーツにさわると、血染めの手形がついてゆく。

何もかもが二つの意味をもつ、「きれいはきたない、きたないはきれい」(マクベス)。

印象にのこるのは、海の上を小さな船で行き来するひとびと、ほんと、ひとびとは流れている。

この感触ってどっか、近いな~って思ってたら、能をみている間の次第次第に高まってゆく、感じにちかいかな。(エレニの恋人が、アメリカにわたる船にのおくれそうになり、エレニと別れをかわす、<おいおい、そんなことしてる場合じゃないでしょ。。。ってなとこ多々ありました)

それと音楽、アコーディオンとか、人の息を思わす音楽が、ほんと、画面とあいまって、よかった。
エレニに結婚式をすっぽかされた義父が、難民が宿屋とする劇場の舞台で、「エレニ!」とさけんだり、干されたシーツの合間から音楽が聞こえてきて、エレニ&恋人が近づいてゆくと、合奏がはじまったりとか、エレニが編みかけのマフラーを船に乗る恋人に渡すと、恋人が糸の端をもって、糸が離れる、その合間に、アメリカにわたった恋人から来た手紙がナレションでながれる、ってなとことか、ほんと、いい場面多彩。
こういう映画は、ハリウッドではつくれめぃ(っておいらが言ってもしかたないんですが)(笑)

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2005.09.25

シンデレラマン

1930年代のファッション、恐慌時代だけど、帽子をかぶって、みんなおしゃれで、ジャズが流れて、、、、。以前みた織田裕二の「TRY」(トライ)もそうだったけど。これって、映画「シカゴ」の時代からすこし後ですよね。お、お、あのレニーが、刑務所を出て、ボクサーの妻になって(<ちがう!!)。

ストーリーは、ジムが、チャンピオンに挑戦し、まけて、恐慌の時代、港湾労働者として働き(おお、沖仲士哲学者エリック・フォッファーもこういう風に働いていたんだ)、電気代も払えなくなる生活の中で、もう一回ボクサーとして戦うようになる、勝ち進んでゆくにつれ、いったんどん底におちて、これからはいあがろうとする人の希望の星となるって物語。

でも、彼は、這い上がれたけど、そうでない人。沖仲士の仕事を割り振る人、割り振られずに仕事にあぶれる人、ボクシングをビジネスにして、彼が勝とうが負けようが儲かるシステムの上にいる人、ジムのために、家財道具を売り、彼の復帰にかけようとするマネージャーもきっちり描かれています。

いつも、思うのですが、登場人物のユーモアの感覚(これが邦画にはない)。
と、「四月の雪」に並んでる客をよそ目に見てきました(^^ゞ

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2005.09.24

■二重言語国家・日本

石川九楊 NHKブックス1995-5-30発行

毎日読んでいる新聞、もし、漢字がなかったら、漢字を抜いた文章になったら、意味はわからんやろ。ぎゃくに、ひらがな「てにをは」がなかっても、漢字だけならんでても、意味はわかるやろ。
かように、漢字を作った中国から恩恵をうけている。「日本語は中国語の植民地語である」というショックな帯をもつ、この本を要約するとこうなる(要約のしすぎだ!!)。

で、何が日本語に足りないか、中国の政治に関する語、社会に関する語、たとえば、「天」「革命」「正」等が正確に理解されなかった。政治を変える、社会を変える、ことにより、社会的弱者なりを救済するには、どうするか、思考する言語が育ってこなかった。と著者はいう。

無文字社会から、有文字社会への変換、だれがヘゲモニー(主導権)をとるか、実にすさまじい闘争の結果秦(始皇帝)が勝利した。日本、韓国は、周辺国家にすぎない。まー明治維新の際、廃仏棄しゃく、戦後の、ギブミーチョコレートと同じく、すさまじい、革命が文字を得る段階でおこったのである。

これを書の関連でじゅんじゅんと説いてゆく。

日本人の繊細さは、たとえば、6時40分の夕陽と、6時45分の夕陽の違いをしめすもので、こんな繊細がなにになるのか、と、著者はいいたいのかもしれぬ。
能は、和語の文化、歌舞伎は漢語の文化の系列につながるが、どちらも、世界的標準の芸術ではない、というのが著者の意見。「月はかたむく、日はのぼる、花はちり、雪は降り、水は流れる」(そういやぁ、4月の雪は、いいネーミングですね。ソウルでは桜は5月にさく)。

日本語は、その気になれば、中国の思想(天から地まで)をまなべ、また、ヨーロッパの文化を漢語化して日本文脈の中に位置づけられる稀有な言語である。という結論には、希望がある。

そういえば、高島俊男著「漢字と日本人」にも、論語を返り点をつけて読む江戸人の奇妙さを書いてました。たぶん、日本語の感覚で読んでいたんでしょうな(^^ゞ
とれくらい奇妙かというと、
I go to the schooll (我行学校)
iは、 schoollに goせんとす。(こう読んでるのとおなじですもんね、アイゴートザスクールと読まないんですもんね)(^^ゞ 
と、ここまで書いて、シンデレラマンのレイトショー行って来まーす。

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■日本退屈日記

サイモン・メイ 駒沢大学出版会2005-07-11発行
東京大学1年間客員教授として勤務した、ドイツ哲学の専門家の日本滞在記。

事務方との、「小学校を卒業した日を正確に記せ」「記せないなら、それが一般的であることを証明する文書を、書いてもらえ」等とのわずらわしいやりとりから、東京での太鼓奏者とフランス人作家のゲイのカップルとの哲学的会話から、能楽師梅若氏との会話等々。

梅若さんは、外国人女性と結婚されていて、その娘さんが能楽師になろうとしているとあった、この梅若さんはだれだろう??

著者は、日本は、伝統的秘密主義、和という合意、官僚主義故に、日本人社会は崩壊がおこるまで、改革が実行できない可能性が高いと予言している。官僚の秘密主義、もみ消し、統制。。。これが危機にさいしては妨げとなる、という。重大情報の流れをせきとめる妨害、過ちの組織的隠蔽が、弊害になっているという。日本の財政赤字、科学技術の世界レベルの程度、日本庶民には知らされてはいない。。。。

うーん、予言があたらないのが祈るのみですな〜せめておいらがボケずに生きている間だけでも(T_T)

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■テキサスの日系人

T・K・ウォールス 芙蓉書房出版1997-04-20発行

テキサスに移民した日本人の大河ドラマみたいなドキュメント
本は、いろんな人の名前があがってるのですが、まー一人の人生にまとめると(おいらが、まとめたものはフィクションです(^^))

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サマータイムマシンブルース

ジャパニーズ版「バック・トゥ・ザ・フューチャ」
夏休み、大学のSF研究会にあつまる面々の部室に、未来から(っても2030年)SF研究会の学生が、タイムマシーンにのってやってくる。それをつかって、研究会の面々がこころみるのは、今日は痛んでしまっている、クーラーのリモコンを、昨日にもどってとってくること。

ここでは(1)「過去にもどる人物は、決して、過去で生活している自分と顔をあわさないこと」(2)「過去にあるものが、なくなっていてはならないこと」このルールをまもって劇が進行する。

佐々木蔵之介もそうだが、脚本家は、小劇場の作・演出家だから、その小劇場系の俳優さんが出演していることもあるが、演技が舞台的かな(^^)。

「運命じゃない人」は、(1)平凡な日常をおくる宮田くんにレストランで女性の知り合いができて、彼女の電話番号を聞いて、って物語と、(2)やくざの事務所から2000万円をとってにげるあゆみちゃん、これをもとにもどす探偵、あゆみちゃん、探偵をおいかけるやくざの物語が、宮田くんのマンション等を舞台に進行している。しかし、宮田くんには、(2)の物語はみえてはいけないってな作劇だった。

あるルールを使って、同時進行の物語が、他方は、もう一方を気がつかない(「サマー、、、」では、過去を生きている人物には、未来からきている人が何をしているかわからない)っておもしろさがある。

こういう時間をずらす作劇って歌舞伎、能なんかと共通しているっておいらは思う。

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2005.09.22

日本語の中の私

宇津木愛子 創元社2005-07-01発行

「私」と書いた際の私は、書いている「私」とイコールではない。小説で「私」と書いていても、=作家でないのと同じ。この書かれた(はなされた)「私」がなくて、「私」を語れる日本語とは?ってところから、はじまる。
それが主客が分離していない=西田哲学の純粋経験へと考察がつずく。

「長いトンネルを抜けると雪国であった」(主語なし)
The train came out of the long tunnel into the snow cauntry.
よく論議されるが、英文訳のみしめして、情景を絵に描いてもらうと、「汽車がトンネルをでる絵になってしまう」(そりゃ、そうだ)
(こんなので、私は、世界に理解されたことになるのかと、川端さん、絶望するわな(^^ゞ)

「雨に降られた」これは、迷惑文(被害の受身文)であって、受動態とは異なるんだけど、これは、「雨が降る」という客観的なことを、語り手の経験としてかたった文なのだ。
日本語は、普通の文でも、たとえば、「花はきれいだ」の「花がきれい」という客観的なことを「だ」で、語り手=私の判断を表しているのと同じだと。(よく「花はきれいだだ」と「だ」を二つかさねるのは、「花がきれいだ」までを客観的と考えるから、さらに「だ」をつけるんだ、と三浦つとむも言ってたな~)

で、最後は、最初にもどり、日本語は、主客未分離の表現である。という結論で終わる。
(なんだ、へい、へい、日本人の主体は西洋人のように確立されてませんけど、それだけなの(T_T))

おいらが面白かったのは、柳田国男が、守主語が後にくる例として、、
「今日はよいてんきバイ」
「いこラ」
「いこまいラ」
「そうだべどラ」
「バイ」が、「と考えております、私は」、「ラ」は「私」だと言ってる。つまり、「今日はよいてんき、私思う」「いこう、私」と紹介されてる。

(え、え、ほんとなの?×3、じゃあさ~~、女性の「いくわ」の「わ」は私なの?へんなの?(^^ゞ)

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2005.09.20

頭文字D

おいらの近所のシネコンは吹替版しかやってない(T_T)

「インファナル・アフェア」チーム、やっぱりかっこいいですね。
アンソニー・ウォン=豆腐屋の主人、酒はうまいし、ねーちゃんはきれいだ~♪を地でゆくキャラで、女房にはあいそつかされる、しかも、車にかける腕はちがう。これって一昔前の日本の理想的生き方だったんですよね(^^ゞ。

ジェイ・チャウも、エディソン・チャン、チャップマン・トウもいいな~。車、女性、うーん、健康的でいいな。(と運転免許ももたない、おいらでも、思う(笑))。ヘレン・ケラー演じた鈴木杏ちゃんも援交役ができるようになったんだ^_^;

日本的「藤原豆腐店」のたたずまいで、流れる、音楽的香港語(字幕版)でみたいな。
これって、多分、外国人が歌舞伎やってるシュールさがあるよね(^^ゞ

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2005.09.19

2005-09-19

映画「メゾン・ド・ヒミコ」が当初の予定では、漫画「つるばらつるばら」@大島弓子を読みました。収録されている「夏の夜の獏」、小学生の僕、兄、 痴呆のおじいちゃん、サラリーマンの父、会社員の母、お手伝いの小箱さん、が主な登場人物なんだけど、精神年齢で、あらわされている。で、精神年齢20歳 の僕は、ランドセルを背負って学校にかよっているし、父は、ネクタイを締めた少年、母は少女、おじいちゃんは赤ちゃんに書かれている。小箱さんは、精神年 齢=実年齢が20歳。僕が書く作文を盗作と先生に疑われたりするが、父母はとりあえない、小箱さんだけが、理解してくれる。

綿の国星も、子猫が少女の形で描かれてたんだけど、その系譜に属するんだと思うんだけど、これって、漫画でしか表現できないよね、って漫画でした。

「毎日が夏休み」は、母の再婚した義父が、大手の会社をやめ、登校拒否の中学生の私と、何でも屋の会社を設立しての奮闘記。

大島さんの漫画って、「つるばらつるばら」もそうだけど、家族の絆より、人の絆をあるほうがいいよ、って教えてくれる気がする。

SHINOBIの原作読み出したら、「甲賀ロミオと伊賀ジュリエット」って章があった(^^ゞ。
やっぱり、最後は、この章がついてるように、ロミオ&ジュリエットの方がよかったかな(^^ゞ・

本日しめくくりは、「ファンタスティック・フォー」。これは爽快だった。邦画とは、お金のかけ方がちがうますな。もう、邦画は、大味なホームランは、ハリウッドにまかせて、「運命、、」「亀は、、」みたいにヒットを狙うしかないか(^^ゞ
フォーのジェシカ・アルバ、アイランドの
ヨハンソン、共通項は、胸元、唇ぽっちゃりかな(^^ゞ
アメリカでは、やっぱり男はリードして、頼られて、積極的じゃないといかんのだ、アメリカで生きるのも大変(T_T)/

原作は漫画なんだけど、漫画みてないんだけど、ザ・シングだっけ、絶対漫画そっくりって気がする。

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2005-9-19河村能舞台

河村隆司さんの「通小町」を観て来ました。河村さんはシテ@深草の少将 面は「河津」??。
「金剛宗家の宝物のひとつである「痩せ男」。室町の面打ち名人、越智という人の能面です。」(と、教えていただきました(^^ゞ)

少将は、元祖ストーカー、百夜通っても結ばれないんだから、現在のストーカーの君、通ってもむだなんだけど、女性にロマンを求めてはいけませぬ(^^ゞ。(あれどこかで教えていただいたんだ(^^ゞひとつかしこくなろう(笑))

河村師は、関西での能楽師の中で、演技派なんです(能は、もともと芝居なんだけど、この演劇であるってことを意識させてくれる能楽師さんって意味です(^^ゞ)

前半は、木の実拾いの老婆が出て、僧から名を問われ「小野とはいわじ、すすきおいたる市原野辺に住む姥ぞ」といって去る(小野の小町ってばればれやん(^^ゞ)

後半、僧の読経に、ろうたけた女性が、戒を受けたいってでてくるが、後を追ってきた少将は「二人で地獄にいるのさえ苦しいのに、小町一人救われて残されたらたまらん」「どっか行ってくれ」と僧にいう。

で百夜通いの苦しい場面が再現される。

雨の日も、雪の日も、笠に蓑姿で、小町の元にかよう、姿。
「夕暮れは」「月をまつらん、われをばまたじ」(月って思い人を暗喩するから、私をまってないで、他の誰かをまってんだろうってことかな)
「一人寝ならばつらからじ」(否定形だけど、「2人で寝てるんじゃないか」って妄想ですな、少将の)このあたりで、河村師、舞台にどっと座り込みます。ここまでは、妄執すごかった(^^ゞ

で、指おって、今宵が満願の百日目、、、河村師は、手を上げ親指、人差し指、、、薬指を折り、小指が残る、薬指をきっと折って、小指を伸ばす、このあたりから、すさまじさが、喜びに代わる(能の面白いのは、こんなとこなんです、この指折るだけど、うれしい、今夜は百夜だ、小町と、、、、)笠捨てて、蓑も脱いで、紫の藤袴、あーーいそがしやーーー(謡だけはこうなるんですけど、舞台の衣装は代わるわけではないですが、河村師、華やいで)

って、最後は、小町と少将が僧に礼を言ってさる。

やっぱり、河村師、凄惨ー喜び、この切り替え、うまいな~。

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2005.09.18

SHINOBI

ジャパニーズ版、ロミオとジュリエット、レイトショーで観てきました。
うーん、戦いに期待したんですけど(^^ゞなんか、あっけなかったです。もーちょっと、戦いがおもしろいと、ジャパニーズ版ラバーズってのになったのにと残念(T_T)
逆に、エロさ度合は、子供連れでみるにには、あれが限度でしょうね。

徳川家康が、甲賀と伊賀の忍者は、太平の世に不要、いや、戦乱の元になるので、今のうちに息の根をとめようと、両者を戦わすってな物語。伊賀と甲賀の後継者、オダギリジョーと仲間由紀恵とは愛し合っている。

「定めはかえられる」戦国の世に過激なオダギリジョー、でもね、孤独な決断が、さらなる悲劇をまねくんだよね(T_T)。

衣装がちと安っぽい気がしたのと、どこか、お笑いいれてほしいよ、あの沈黙劇室井慎次でも、面会室での笑いが入れてあるんだからさ(^^ゞ。

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シアタードラマシティ2005-9-17

シアタードラマシティ@大阪で、「ドレッサー」を観ました。
時代は第二次世界大戦前、空襲警報がなったり、爆弾の音がなったりしている、楽屋。

座長@平幹二朗、ドレッサー@西村雅彦、妻@松田美由紀、マッジ@久世星佳、アイリーン@勝野雅奈恵、、、。

座長が突然ぼけてきた、劇場では、客がはいっている、ぼけている座長を、おだてたり、すかしたりしながらドレッサーがリア王の舞台の準備をすすめる。

座長がメークしながら、リチャードⅢ世、オセロー、マクベスの台詞をいったり、はじめの台詞が出てこなくかったりとか、なんとか、舞台がはじまる。舞台では、座長リア王を勤めたみたい。で、その間の、座長と妻との会話、じつは座長、サーナイトの称号をもらうために、前妻とは正式に離婚していなくて、これを妻から責められている。座長を慕う新人劇団員アイリーンにせまったりしている。その間、間にはなされる、批評家への嫌悪、経営問題、いい役をつけてくれ交渉にくる役者、脚本をよんでくれという座員との会話。
批評家をけなしてるけど、劇評は残してある、ドレッサーに客の評判がいいと聞くと、喜ぶ。

まー舞台の裏側をみせて、また、舞台でのリア王を創造させ、カーテンコールで、「戦争という状況にもかかわらず、舞台を追求してます」との座長の立派な挨拶とか、劇をつくる人々についての演劇についてのメタ演劇です。

マッジの出番がすくないのがちと不満なんですけど、面白かったです。

平さん、シェイクスピアの舞台やってるから、やはり貫禄で、「ドレッサー」って題名なんだけど、座長を批判する視座をもつ、ドレッサー西村さんがちとかすんだかな??西村さん、座長に愛をささげる、多少ホモっぽい役なんだけど、ちと抑制がかかったかな??
(座長一筋ってのが、ちと、みえなかった(^^ゞ)

脚本家さんは、ロナルド・ハーウッド。戦場のピアニスト、お正月映画の「オリバー・ツイスト」の脚本家さんです。ドレッサーは映画にもなってます。

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2005.09.17

ダンスでコミュニケーション

岩波ジュニア新書@香瑠鼓 2005-3-18発行

「メゾン・ド・ヒミコ」@映画のダンスホールの踊りが、みんな楽しそうに踊ってて、最後のエンドロールに振り付け「香瑠鼓」ってあったのは、映画の感想で書きました。で、「メゾン、、、」関連本で、香瑠鼓さんが出てないか、見ましたが、載っているのがない(T_T)。おいら、あのダンスシーン、と「ぴきぴきぴっきー」と、ドボルザークの母の合唱が、あの映画のツボなのに。。。。。あれみんな楽しそうで、一人一人が輝いてました。

以前観た、津村礼次郎@能役者と競演していた森山開次@コンテンポラリーダンスの、森山さんが香瑠鼓さんと一緒に仕事をしていた。香瑠鼓さんも能を習ってはるってあった。
そういえば、能の写真を撮られてる森田拾史郎さんが、香瑠鼓さんを撮った写真が何枚か掲載されている。

「私がめざすのは、瞬間にその人が感じていることを表現すること」かっこいい!!

香瑠鼓さんのWORK。ミュージカル「ヘア」主演。障害児たちのためのダンス教室主催。WINKの振り付け、「慎吾ママのおはロック」振り付け等々。

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討論・日本のマスメディアと私たち

野田正彰vs浅野健一 甲洋書房 2005-9-30発行

浅田さんは報道の人権侵害を問題にしている学者@同志社大学教授、野田さんは、精神医学者@関西大学教授。

浅野さんが、甲山事件(後に無罪が確定している)の山田さんに講演してもらった後、学生の感想は「警察は、犯人を捜すところだから間違うこともやむをえない」「間違ったら国が賠償するばいいので、そのことによって警察はが捜査に臆病になってはいけない」というのが出たと書いてある。

野田さんは、京大で731部隊のことを講演したとき、学生の感想に「生体解剖・演習を批判しているけれども、便利でいいなと思った。こういう思いが私の中から湧いてくる」というのがある。

本当は、この本、日本のメディアの事件の被害者についての写真報道(ほんとに写真が必要なの、そのために、被害者家族に執拗な取材がなされることなど)等の報道批判なんだけれども、うーーーん、たぶん、団塊の世代(おいら含まれてる)の同世代人以下の子供の年齢なんだけど、子育て、おいらたちは完全にまちがってます。。。反省。。。って、いまさらおそい、、、、、と、同時に、こちらの若者の方が怖い。。。

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能楽の楽しみ

たとえば、今習っている「東北」(とうぼく)。物語は、京の東北院を訪れた旅の僧が梅の花を見ている。すると女が現れて、その梅は、和泉式部が植えた軒端の梅だといって去る。
和泉式部が現れて、道長がとおりかかったとき、「門の外法の車の音聞けばわれも家宅を出でにけるかな」と歌った昔のことを語って舞う。

別に、深い物語があるわけではない。昨年、「求塚」@能を現代劇にした鐘下辰男が、能は、「劇台本の要約くらいのことしか書いてない」って言っていた(台本、A4、1枚裏表あれば、一曲は記載可能)。
で、登場人物は有名人(たとえば、義経、在原業平の女、弁慶等)がおおい。

で、おいらたちは、衣装、面@「若女」の美しさを感じ、囃子の太鼓、大鼓、小鼓、笛、合いの手の「いーーーや」、バックコーラスの地謡さんの謡、シテ(この場合式部さん)の舞を見て、それなりの感動を得て帰る。

主人公が有名人であるから、観客は、その人に持っているイメージを投影できる。だから、謡が何を言っているかわからなくとも、それとなくわかるようになっている(ほんと、能の謡は聞いてわからなくなっている、台本を配ってくれる会もある、なぜ、こんなにわからなくなったのだろう????)。

台本のところどころには、「春や昔の春ならぬ」「久方のあまぎる雪の」なんて、文句は、どこかの和歌の部分を抜いてるだろうと思うんだけど、もう、そんなことが、わかる教養はない(でも、新作能がつまんないのは、和歌の文句をちりばめた豪華さがないことによるんだろう、作者が、和歌の言葉を抜書きするほどの教養がもうなくなっている)。

で、何がいいたいのかというと、能は、知識の浅さ、深さを問わずというか、レベルに応じて、観客を満足させるている。

ってことは、演劇にも、映画にも、あることだと思う。
だって子供から、大人までが面白いって作品があるんだから、子供は子供なりに、大人は大人なりに満足を与えられている。

卒塔婆小町と、通小町とで、卒塔婆小町を演じるのがむつかしい、とされているのは、
観世寿夫が言ってるように、卒塔婆には、最初、「卒塔婆」に座る小町のなれのはての老婆と僧のやりとり

僧「これ、卒塔婆にすわるなんておそれおおい」
老婆「なに言ってんだい、たかが朽ちた木だよ」
僧「なんぼ木でも、卒塔婆は、仏の体だ」
老婆「ふーーん、わしには、花のこころがあるから、よい供養になってるわい」

ってな「笑」があるんで、これを後の、凄惨(深草の少将の)につ落差をつくるんだけど、笑わせるのが、むつかしいからだ、ってことなんだ.
だけど、ここが笑うとこだってのが、もう、観客にわからなくなっている、う--ん、寿夫さんが、わざわざ言ってたくらいだから、能役者もわかってないかもしれん^_^;
(もちろん、おいらも寿夫さんの著作よまなければ、笑いところってのがわかっていません(-_-;))。

もう台本に「(笑)」と入れといてほしい(^^ゞ

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2005.09.10

メゾン・ド・ヒミコ

なんていうのでしょう。後にひく映画でした。
ゲイのみにくさも、ゲイに対する偏見も描かれてる。老後を寄り添って幸せに生きようとする人々。

ゲイの男の老人が、いちど、女装して街へでかけたい、っていうので、他の人々が、男装して、エスコートする、踊り場で、このゲイをからかう、昔の部下。ゲイの父、ヒミコをきらっている娘サオリが、「あんた、あやまんなさいよ!」と、昔の部下にくってかかる。ヒミコの愛人ハルヒコが、サオリを、引き離し、踊り場につれていっておどる。みんなで、部下をやっつけるカタルシスはないが、こういうやっつけるカタルシスが現実に起こるわけではない、との監督の醒めた目がかんじられた。

このダンスホールでの、踊りが、よかった、すごい踊りだった。(エンドロールで、振り付け香瑠鼓ってあった。)

脳出血をおこした老人ルビーを家族に引き取らせる、老人ホームの人々にサオリが「あんたたち、家族をすててんのに、元にもどすってのは、どういうことなんだ!」って詰問する。しかし、家族から離れざるをえない、脳にくわえられた社会の圧力を、考えると、個人の責任の範囲をこえてるんじゃないか、と思う。家族に対する愛情を断ち切らなければ、ならない、社会の圧力があるとおもう。

たんたんと、マイノリティの、生を普通の人生として描いている映画だった。

柴崎コウが、風俗で働くことも考える、借金をかかえた小さい職場の事務員として、美しさを隠して演じてるのもよかった。決して、特別な人の物語じゃないんだって感じられる。

サオリが、母が、父にあっており、最後まで、父を愛していたと気づく、母の人生のとらえなおしが、おいらのツボでした。過去って、読み直しが可能だって気がする。過去をひきづって、過去のせいでこうなったって考えてる、あなた、とくにおいら、物語は再生可能だよ(^^ゞ

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2005.09.08

土の中の子供

平成17年度上半期、芥川賞受賞作(文芸春秋9月号掲載)

(物語) タクシー運転手をしている、私は、過去に養父から土に埋められるという虐待を受けて施設で育った。私は、暴走族にはむかってずたずたにされたり、信号を無視する車に捨て身で眼の前に立ち止まったりする。タクシー強盗にあい、ずたずたにされる。施設の人が、私をすてた父があいたいって告げにくるのを、拒否して、「自分は土から生まれた」んだ、と。

主人公が、タクシー強盗から殺されかかる場面で、うっすらと笑みを浮かべ「私は笑って死ぬのだ」「たとえ死んだとしても私の勝ちだ」と。この感じが主人公を変えてゆく。

ナチの収容所に送られた精神科医フランクルの「夜と霧」を思い出した。
笑いってどこか、強いられた状況を逃れることができる技術かもしれないと思う。
笑うことで、今のとらえかえしができるからじゃないかと思うんだけど。

って、こういうことを書きたいって思ってるんだけど、うまく、まとまらない(^^ゞ。
ドイツ人のユーモア、日本人のプレイボーイ(あれ、逆でしたっけ、ありそうもないものの例、独、英、仏は忘れてますけど)

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2005.09.03

NANA@映画分析

面白かったです。
二人のナナの物語。一人は、バンドを組んでいた仲間に恋しているが、仲間は、有名バンドに引き抜かれる。一人は、高校からつきあってる男性が東京で大学生活を送るの追って上京してくる(二人のナナだからややこしいので、ハチと呼ばれる)。この二人が知り合って同居するって話。

二人のナナ。小倉千加子@心理学者が、女性の非婚を調査し、典型をまとめていたが、(1)短大卒の女性は、結婚=家庭にはいるってのを考えてる、(2)大卒は、キャリアウーマンになり、同等か、それとも、自分が、男性化しているので、癒し系男性を求める。(3)高卒専門学校卒は、自分の店をもつのに、協力してくれる男性と結婚をと考えている、、ってのがありました。これが男性側の考えてるものとちがってミスマッチになってるってものでした。

(1)をデフォルメして、男性との結婚を目標とする、かわいい女性にすると、キャラは、ハチになり、(2)(3)をデフォルメして、結婚よりも、自分のやりたいことを追求する人物にすると、キャラはナナになるかな。

家族のしがらみを書かなくてもいいように、ナナは、一人(ばーちゃんに育てられ、ばーちゃんは死亡している)に設定してあると思えば、わかりやすすいか。ナナは、男言葉を使うし、自分の意思をもって生き方を選択している。ナナ@中島美嘉が、細くて、肉体をもたないような感じで、これは、何の喩だろう??
この映画、ナナとハチにひきさかれながら、現代をいきている女性の共感を呼ぶのではないか、と思う。

おいらは、バンドの仲間が、自分の作った曲をもって、ナナのアパートをおとづれる、ナナは追い返そうとする。バンドのもう一人の仲間であった弁護士が携帯電話でナナに、曲を聴いてみろ、という。その曲を聞いて、ナナが携帯で即興で歌いだす。こんな瞬間ってすごいよね。この場面になぜか感動してました。この事務所の机の上にあるのがマック@ノートPCです(^^ゞ

ハチ役は、宮崎あおい、この子って、ミュージカル「星の王子さま」で王子役やってた子なんだ。ハチの恋人役は、平岡裕太、スゥイングガールズで、ピアノを弾く高校生役だったのに、大学生になると、二人の恋人を手玉にとれるようになるのね(^^ゞ
大谷監督、「約30の嘘」にでてくる詐欺師も輝いてましたが、ナナも輝いてます(^^ゞ
それと「亀は意外と速く泳ぐ」の豆腐屋さん、今回は、不動産屋さんで登場です(^^ゞ

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邦画@最近の映画

おもしろかったのが、「運命じゃない人」「亀は意外と速く泳ぐ」「リンダリンダ」。
おもしろくなかったのが、「容疑者室井慎次」「亡国のイージス」。

「運命じゃない人」「亀」「リンダ」にかかれているのは、普通の日常だけど、それぞれがちがっており、同じ人はいない、そのかけがえのなさを大切にしている映画だと思う。脚本がよくできている。
「運命」は、ささやかな主人公の幸せ=女性に電話番号を聞いてつきあいがはじまる=が、分刻みの友人の探偵の努力によってなりたっている。「亀」は、スパイ、普通じゃないひとが、わざと普通の生活を送っている、回りをみまわしてごらん、と。「リンダ」は、ささやかな幸せ=文化祭りでの演奏=のために、努力をかさねるというもの。
いずれも、普通の「かけがえのなさ」みたいなものとテーマとしている。普通のかけがえのなさがなくなりそうって前兆ではなく、そういうことを考える「成熟さ」ができてきたんだと理解したい。

容疑者室井慎次は、脚本のまずさがあってリアリティにかける。
(リアリティってのは、「ダニー・ザ・ドッグ」の場合、ありえない設定だけど、そういう事態があったとしたら、その後おこることは理解できるってのがリアリティだと思ってんだけど。「容疑者。。」は、室井さんが逮捕された後、おこる話にリアリティが感じられない)

「亡国のイージス」事件を起こす寺尾聡が無口なんですわ。「容疑者」も室井さんが無口なんですわ。「容疑者」の監督の前作品「MAKOTO」もまことさん、無口なんですわ。仕事に一生懸命で、語りたいことがあるのに、家では話さない、家族にも理解されない、これって、もう過去になりかけた男性像じゃないんやろうか。「フライ・ダディ・フライ」のお父さんは、これから脱皮しようとしているところがいい。

と気になった作品の感想をまとめて、これからNANA見に行きます(^^)。

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悠亭日乗2005-09-03

謡の稽古日なんだけど、どうも、行く気がしない。っても、この前もサボってるし。やめればいいんだけど、やめたくもなし。おいらスランプかも。

「ドラゴン桜」ってドラマがあるんだけど、脚本家の名前を見ていたら、秦建日子ってある。えぇ、秦恒平の息子じゃんって、思って、調べると、やっぱり息子さんでした。秦恒平は、能「清経」等に題材をとった、「清経入水」とか「安宅」とかを書いていた人、昔、昔、太宰治賞をとったはず(たしか、「清経入水」で)。清経入水って、清経の物語とからめて、主人公の恋がかたられる手法で、この物語が発展したのが「初恋」。「みもごりの湖」の女性主人公は、滋賀五個荘出身にしてあった。
江藤淳の後任として東工大におられてだいぶ前に定年でやめられている。

もうひとり、京都市役所勤務で「思想の科学」編集委員等されていた北沢恒彦さんの著書も愛読していたが、北沢さんと、秦さんが、お母さんの事情で、兄弟別れ別れに養子に出された兄弟であるというのを知り、数奇なこともあるんだと思ったことがある。

この北沢さんの息子さんが、小説家の黒川創。才能は継承されてゆくんですね(^^ゞ

さ、稽古いかなきゃ(-_-;)

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