« 2005年10月 | トップページ | 2005年12月 »

2005.11.30

少年の「ヰタ・セクスアリス」??

とも読めないこともない、映画、ドア・イン・ザ・フロア、ようわかりませんでした。ただ、夫が語る惨劇のすごさ、こんなのに耐えられるだろうか、って思う。「欲望という名の電車」で、ブランチがかたる婚約者の自殺の話に匹敵するかな。

この惨劇をかかえ、夫は、浮気をくりかえし、女に殺されかかったり、女にもててたりする、ガウン姿で酒を飲んでいる、ただの飲んだくれにみえる(が、実は、有名な児童文学者)。

妻は、夫がアルバイトに雇った少年とセックスし、しだいにあかるさをとりもどしてゆく。

夫は、少年と妻のことを知り、競技で、勝ち負けをきそったりする。

どこにも、感動はありませんが、官能はちょっぴりあります、笑いの場面はありますが、泣かせる場面はきっとすくない。

「板の下は地獄」っていうより、「ドア・イン・ザ・フロア」って方がおしゃれですが、ドアのうちもそとも、惨劇は、床の上でも、床の下でもおこってるよ、って、内心の目でながめれば、ドアの内外はかわんないよ、って言ってる気がするって、神は細部に宿る、その細部の方が重要です、そのときどきの行動を選んだり、行動がつぎの行為を引き起こしてゆく、その連鎖。

その後の登場人物が気になりますねってんで、パンフ買ってみましたが、さらに、??の部分があるので、小説(下)を買って確かめました(10分でわかる物語(^^ゞ)。
小説の最後は、「ただのエディとママじゃない」。

海辺の別荘ってな舞台じゃなきゃ、ちょっと、成り立ち得ない物語なんで、日本に置き換えると、ちょっと想像できない(笑)。
と、書いて、やっぱり、よくわからない映画でした。

| | コメント (8) | トラックバック (4)

表に物もうとある、案内とは誰そ、

どなたでござる」「えぃ、私でござる」「えぃこなたならば案内に及びましょうか、なぜにつーっととりはなされいで」
ってなのが、狂言の知り合いをたずねるときには、でてくる。これは、オペラでも、物語の転調の種類などは、どの作品でも共通なんだそうです。狂言は、オペラ・ブッファ(喜歌劇)だと、林さんはいう。

能が完成し、秀吉が、「明智打」「柴田」「北条」なんて能をつくらせ、自分が秀吉の役をして舞う、これは「かぶき」じゃ(^^ゞ(トロッキーも革命劇がつくられたとき、劇中のトロッキー役を演じている、こういう権力者の共通点、すぐに、他人に天下をとられることだ)。で、江戸時代、「能は弾圧される」四座一流は保護されるけれども、保護された以外の能は禁止される。これ以後、古い芝居を演じることしかできなくなる。

このとき、沖縄経由でやってくるのが三線、この三線を琵琶風に改造したのが、三味線、この異様な楽器が歌舞伎を支え、がんじがらめにされた中世から、きままな現世を生きようとするひびきをもって、エドの芸能をつくってゆく。

これが明治維新で、洋楽が導入されて、発展がとまる。

と、まーざっと、こんな調子で続いていきます。
「わたしの日本音楽史」林光 晶文社 1983-3-10

| | コメント (0) | トラックバック (0)

1096年(永長元年)田楽さわぎ

ロックのような音楽に浮かれた老若男女が浮かれ踊り歩く、媞子内親王まですっかり
夢中だ、こまったもんだ、と、大江匡房卿が書きとめている。

大仏開眼会(742)に行われた世界音楽祭から、このときのプログラムに載っていた散楽、声明が、古代から中世へなだれ込んでゆく際、謡曲、平曲(琵琶)へながれてゆく。

世界音楽祭のときの雅楽は、中国を模倣したもの、韓国を模倣したものが作られるが(このころってひょうとすると、ジャアパンは植民地)、パトロンの宮廷にお金がなくなりすたれてゆく。

能で演じられる「翁」(おきな)は、当時、田んぼの泥の中で、じいさん、ばーさんが、ラブシーンのまねっこをして、豊作が祈った。現在の翁は、こんなのは、ないが、しっぽに、舞のなかに種まきのしぐさが残っている。
これが、「おじいさん、どこからきなすった」、翁「わしは、お前たちの先祖のかっこうをしているが、じつは、、、、」という夢幻能にはってんしてゆく。卒塔婆に座るばばあに、僧が「ばーっちゃん、罰があたるぜ」って会話の後「実はわしは、小野の小町じゃ」って消えて、後半美しい女性姿であらわれる「卒塔婆小町」ってのに発展しますねん。

その田遊びから、能・狂言に発展してゆく狭間に、民衆のエネルギーの表現として田楽さわぎがある。

「わたしの日本音楽史」林光 晶文社 1983-3-10

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.11.28

□金沢の雪がみたい

□だんなそんなんじゃ、若い子はくどけませんぜ。
☆しかし、金沢と雪がからまると、微妙である、これが「山形」だと、雪ばかりって気がするし、「京都」だと、雪があるのかいって気がする。また、話の相手はだれだ、金沢の人にむかっていう言葉ではない、???

□パレードとねぶた祭りはよく似ている。
□でも、ねぶた祭りはパレードなのか??「練り歩きを伴う祭り」という意味もある
☆では、祇園祭の山車はパレードか、サンバでおどる人の集団は??
ねぶた祭りがパレードなら、じぐざぐデモは??この違和感はなんだ(笑)

□痛みとは肉体のことだ。唐十郎の言葉だが、でも、歯医者で「痛みとは肉体のことだ」と患者が言ったとき、医者は「はぁ〜」であろう
☆これが、針鍼灸師なら、会話がなりたつかもしれない。これはなぜだ??

と言葉と、これを発する状況のずれを考えるエッセー。うーん、劇作家の人はこんなことを考えているのだ、と感動(笑)。

「茫然とする技術」宮沢章夫@ちくま文庫2003-4-9 単行本は1999-8月刊
□が本からの引用。☆がおいらのつっこみ

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2005.11.23

コント55号傑作コント集@DVD

いやぁ、腹のそこから笑えるコントです。

コント55号には、「とびます、とびます」ってなコントがあったのですが、これは残ってないんでしょうね。TV放送したのを、後に、ビデオにして売るってなビジネスの発想はなかったんでしょうね、当時、生放送の時代(このあたり、くわしくないので、いいかげん)。

おもしろいコントは、キンちゃんが、二郎さんに演技指導をし、これに二郎さんがついていけないってパターンの笑いか、二郎さんが、豹変するパターンの笑い、それがおもしろいかと思う。

演技指導型
「お坊さんの花見」
「さくらだ、さくらだ」と踊り浮かれる坊主の二郎さん、そこに団子屋のオヤジキンちゃんが、猫のp-の葬式を頼みにくる。「pちゃん、なんまいだ」とお経をあげる二郎さんに、「木魚もほしいので」「金のね、ちーんもほしいです」。二郎さん、「pちゃんなんまいだ」「ぽくぽく」「ちーん」これがうまくできないので、笑いがおきる。

豹変型
「暴力追放」 
暴力追放のたすきをかけ、署名をあつめる二郎さん、「暴力団は、社会のダニです」ところが暴力団員風のキンちゃんがあらわれると、「うつくしい街をつくりましょう、田に蝶が飛ぶ街を」。で、いなくなると「のさばらせてはいけません」、あらわれると、「これですか、私の名前です、ぼうか、おいほうって名前なんです」

演技指導+豹変型ってのもありました。
(あ、これ、おいらが整理のために、なずけただけで、こういう型があるわけではありませんので、念のため)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

新リア王 上@高村薫

新潮社 2005-10-25
1987年中曽根首相時代の青森の衆議院議員福澤榮が遁走した4日間 貧乏寺に住まう息子彰之を訪れての対話。
福澤榮は、埴谷雄高の「死霊」を読む、また、道元@正法眼蔵の「石女夜産児」(うまずめ夜児を産む)等を理解する教養人でもある。

核燃料リサイクル施設を誘致したが、地元は、荒廃したままだ、とか、東北に新幹線を!ってスローガンが、結果、東京に富を集中するにいたる、とか。政治の決定がいかなる力学でうごいていくかを読むのには、いいかもです。

政治が、一歩未来を見据えて、動いたことはなく、いつも、世間に遅れて動いている現実などがかかれている。
何しろ、86年9月16日午前8時45分から、同日昼過ぎまでの榮の日常が、130ページ(うーーん、ながい)。

公認会計士で、榮の金庫番となり、親戚の娘と結婚させられた保田英世が、陳情をさばきながら、榮の収入をもたらしている。かれは、四国の山を買い、そこで、すごす計画をたてているが、妻から「息子の学資がいるのに」と責められ、悪に手をそめ、それがもとで、自殺するってな話も書かれている。

「(あなたは)王を演じ、片やそれをながめる有権者のほうは、、、、臣民を演じるのです」「大衆はそうして煽動されることを欲し、説得されることを欲し、政策や理念の周りではなく、それを粗雑にわかりやすく語ってみせる俳優の周りをまわるのだ」なんて語りがはいってます。これ、今年の3月まで(たしか?)新聞連載されてたものの単行本なのです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.11.22

新リア王

雪の中で子犬が死んだのを嘆く禅僧の息子を眺める政治家の父ーーー終章読み終わったとき、「悲しみの器」(森進一が歌ってた)のピアノ演奏がどぉっーと流れてきて。あ、おいらさっきから喫茶店で本読んでたのだ、と気づく。
日経新聞、今、渡辺淳一の「愛の流刑地」連載してるけど、この前の連載小説。やっと、本になった。連載中は、しんきくさい物語だよな〜って思ってた。

青森の代々の政治家が、崩壊する過程と家庭(しゃれではありません)を描く上下刊あわせると900ページを超える大作。下のみ読み終えました。

雪深い貧乏禅寺で修行する息子を没落した政治家の父が、訪れての、4日間の物語。
対話で、浮かび上がってくる、政治。
たとえば、地方分権などは、貧しい地方と豊かな地方を生み出すにすぎない、政治にたよって潤うしかない地方の現実、集団就職列車をなくせっていうのが悲願であった地方とその政治。むつ小川原開発の実態。

政治家のスキャンダルの噴出は、政治家同士の暗闘の結果マスコミにリークされる現実。

ひゃ、まとまらないんですが、おもしろいのです。

ってまだ、上読んでないのですけど(^^)

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2005.11.21

コントとコメディ

コメディ ストーリィがあるからCMネタをいっても、楽屋落ちがあってもOK
コント 時間的にも内容的にも圧縮されてる 長くとも15分 笑わせることを目的にしてる。
どちらも、話にリアリティがないと、芝居ができないとだめ。

不良学生が学校をエスケープする芝居で
いちいち舞台真ん中に戻すのがコント、舞台のそでまで学生がいっても、そこで話して引き留めるのがコメディ(うーん、わかたような、わからぬような(^^))。

ネタの類型 たとえば、事情聴取ネタ
警察官が市民に職務質問をする。警官が鉛筆をなめなめ手帳にかく。市民「それおいしいですか?」

〜松尾スズキ×ラサール石井の対談より〜発言ラサール石井

僕は志村けんさんって、難しい問題と闘ってる人だなとおもってるんです。いわゆるコントって一番むつかしいでしょ。だからみんなどこかでまけて逃げていってしまうんですよね。。。。。。志村さんとのコントはね、僕にとってはいちばん真剣になる仕事なんです。
〜松尾スズキ×柄本明〜発言、柄本あきら

うーん、どちらもむつかしい(^^)
以上 「演技でいいから友達でいて」松尾スズキ編@岩波書店2001-12-13

さかんにダイエットをすすめる。最近いいダイエットフードが、デパートで売られてるからぜひ試しなさい。「ドッグフードっていうのですけどね」
(あとで、これをメモした人から、「この敵はきっととるぞ」とはがきが)。

〜市民運動の宿題〜吉川勇一 思想の科学社1991-9-1

うーーーん、本の整理もつらい。。。。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.11.20

歌わせたい男たち@びわこホール

あらすじ、配役は下に、(トップにhを足して飛んでくだされぃ)
htp://www.nitosha.net/stage/about.php

喜劇なんですが、デモにいったこともない、軟弱と言われた教師が、卒業式「君が代」演奏でたたない、歌わないと表明している。彼を歌わせようとする、校長、推進派の教師、保健室の化粧しながらの保健の先生、君が代演奏のために講師に採用された元シャンソン歌手。

歌わない教師「シャンソンすきなんだわ、うたってちょ」
講師「それより、校門の、野良猫はどうなっただぎゃ」
歌わない教師「ブチはいただぎゃ」
講師「茶トラが、おらないかんぎゃ」
教師「ブチに、おい、茶トラは?って聞いたら、不登校だに、って言うとった」

でも、校長(教師時代は、君が代反対派)が、屋上で、「内心の自由は、君が代を歌うことでおかされない」「卒業式で、一人でも、歌わない、たたないと言う人がいたら、私の責任です、私は、ここから飛び降りておわびします」ってアジるんだが(これが小泉さんか、ヒトラーの演説みたいなんだけど)、これにまいった。あー---日本的、人が死ぬことで、その責任を誰かにおわす、そういうメンタリティってあるよな、と。「いじめとベケット」で紹介した鹿川くんの遺書にも、「僕が死ぬのは、@くん、*くんに聞いてください」ってなこと書いてあったし(こちらはちと違うけれども)。

このアジのあと、「愛の言葉はいま」ってシャンソンを、戸田恵子さんが歌って舞台くらくなる。(戸田さん、16歳くらいで、演歌歌手アイドルだったってのをアフタートークで知りました)

作者・演出家の永井愛さんのアフタートークで、京都の某国立大学で、国旗国歌法成立後、朝早く守衛さんが対陣を組んで、朝早く、日の丸を揚げる、これを写真にとる、で過激派に追いかけられるってなことになってるってな話があったし。。。。
日の丸裁判で、東京都の通達で、卒業式の式次第が決められており、裁判官が「学校の自由というのがあるのですか」課長「はい、いろいろあります」「たとえば、紅白の幕を引くか、引かないかは自由です」ってな答弁があって、法廷が大笑いになったことも話されてました。アフタートークの永井さん、おしゃれで、かっこよかったですよ。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2005.11.19

冬じゃ、冬じゃ。。。

インドア派としては、泳ぎたくとも泳げない、外で、散歩したくとも、走りたくとも、できない、冬が好きで、本をもって喫茶店へいくか、映画館へいくか、劇場へいくか、電車のってるか、ってなことしかできない冬が大好きなんです(笑)。

室内でぬくぬくしていたいです(笑)。

となると、パソコンの周りのつんである本がなんともで、売りにだそうと整理を始めてると、どれも、売れない、だんだん、腹がたってくる、なぜ、これを、整理しなきゃいかんのだ!!。
自分で自分にいかっててもしょうがないんですが(笑)。

本は酒と同じで、寝かせておく(まー積んでおくちゅうことですが)と、そのうち、読んでねって、語りかけてくる、まー相性があわんわな~ちゅうのもでてくる、買うのも、めぐり合いだけど、読むのもめぐり合いで(爆)。

整理のルールで、図書館にある本は売ってもいい、もう読まない本は売ってもいい、残すのは、演劇関係、思想関係、、、、こんなルールほとんど、役にたたない。。。。

どっちかちゅうと、本をしまいこめる部屋があったらええのやけど(笑)。仕事場の資料室(かってになづけてます(笑))も本がはみだしてるし、、、、

| | コメント (6) | トラックバック (0)

昼の月を青年山下清がながめる

「同じ月をみている」@映画
エディソン・チャンがよかった。山下清のような出でたちと似てる(笑)って、思ったりしてました。
ドン=エディソン・チャン=の無垢というか純粋さが、裏切りや荒涼としたものの上になりたっているというのがわかる後半。これも、岸田今日子という保護者がいての話なんです。やっぱり保護者の目がないと内面に目はゆきませんね。

途中、弱いものが、さらに、弱いものにむける暴力がいたいですが、山本太郎の暴力が上にむかってるでのこれはすっきりでした(^^)。

鉄也=窪塚洋介=から、なぐられても、けられても、愛情をもちつづけるドンって、母親の愛情に近いんじゃないって思ってみてました。

心臓病を患ったエミ=黒木メイサ=の手紙から、はじまる惨劇でもあるんですが、人って、自分の善意からでてる行為でも、こうやって、因果の中にまきこんでゆく、中央アジアの蝶が羽を一回動かし風をゆるがせると、アメリカではタイフーンとなるってな理論がありますが、しようがないやね、って、感じで、ほんと、日本的な映画でした。満足度8-おすすめ度5とメモっておこう(笑)。さー仕事にもどろう(爆)。
で、歌川椎子@劇団自転車キンクリートの名前があったので、パンフかったけど、どの役かでてない、、、気になる。。。

| | コメント (14) | トラックバック (5)

読書日記2005-11-19

■才能の森ー現代演劇の創り手たちー 扇田昭彦 朝日新聞社2005-11-25(日付、書き間違いではないです)
千田是也から、野田秀樹、渡辺えり子(二人は同年なんだ)まで、取り上げられているのは24名。

ヨシ笈田さんの、演出家ー世界のニナガワさんがいる、作家ー安部公房がいる、、、でも、欧米では、「黒人」「有色人」の順で、日本人俳優というか、アジア人俳優の活躍の場がないというか、通用しない、との話。そうか、おいらたちの体型がいかんのや、とおもっても、どうにも、ならないですもんね。
渡辺さんのところで、グルジア語版「心中天の網島」を国立グルジア劇場でみる話がかいてるけど、どんなのか、みたいって気がする。

英国の演出家は、俳優たちの疑問に答え、討論を重ねながら稽古をすすめる、独裁が成立しないそうである。日本って、伝統芸能では、演出家がいず、権威をもった俳優(家元)が、教えるだけだから、独裁ってな伝統があるかもしれない。

この間、中学生が狂言のリハーサルの後、「習ってもいないことを、間違ってる、あかん、っていわれてもかなんな~」と話しているのを耳にしたが、そうだよ、稽古は理不尽なんだよ、しかし、これからは、通用しないですぜ、師匠、なんて思ってた、おいら。

■シンポジューム現代芸術の地平 鈴木忠志他 舞台芸術財団演劇人会議 2005-10-10
オペラとか、建築、演劇とかの受容がへんだった。だって、明治以降の近代文明の受容のしかたがおかしいんだから、そうだよね。オペラ歌手の養成機関がない、長い間、国が劇場をもってこなかったってなところがある。オペラのばかばかしさー歌舞伎に通じるーーがわからないから、学校では声楽で、「椿姫」のアリアを勉強しましたってのになるそうです(これ、作曲家の三善晃さんの発言。)

建築家の磯崎さんが、新国立劇場のコンペの審査員をしていた経験で、行政の意図で、無難な二流の案が選ばれていくありさまが話されている。

うーん、どっか、日本社会の縮図ってのあるんですよね。

おもしろかったのが、磯崎さんの、伊勢神宮の話。それまでの建築は、韓国からの輸入で、法隆寺とかいろんなものがたっている。白村江の戦いでまけて、引き返したとき、外圧で、初めて日本語をつくらんなきゃって意識が生まれる、それを建築ででっち上げたのが伊勢神宮、うーん、そうだったのか(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.11.18

葬式ごっこを演劇からかんがえると。。。

富士見中学の鹿川くんのいじめー自殺事件を例にあげながら、ドラマツルギーを考察しています。

「ベケットと『いじめ』」@白水Uブック 2005-8-5 もともとは、1980年代に岩波書店主催の研究会のようなもので話されたものが、本になったもの。

富士見中学事件のおさらい
 鹿川くんがけがをして学校を休んでいた。
 鹿川くんが登校するまえに、「鹿川くんが死んだことにしようぜ」って提案されて、鹿川くんの机に写真、色紙の真ん中に「さようなら、鹿川くん」と書いて寄せ書きをした。先生も寄せ書きしていた。
 鹿川くんは、登校して「おれがきたらこんなのかざってやんのー」と言った。

この後、鹿川くんは、自殺する。

もし近代的個人として、鹿川くんが、行動していたら、「誰がなぜこんなことをしたのか」と問いつめ、グループと対決という、ことになっていたであろう。

ところが、この事件を鹿川くんはスルーしてしまう。鹿川くんは、対決では解決しないと考えた。
上の事件では、悪意のある企みが、「遊び=冗談」のように装おわれている。鹿川くんと、グループの間の関係がつくりだす状況のなかで、鹿川くんは、「主体として行動できない」状況にある。これが現代ではないか。

演劇の変容が現代とかかわっているとすれば、従前は、近代的個人が世界と対立するという構造をもっていたが、現代は、人間関係の中で、主体としてうごきがとれない、状況にあるのだということに気がついた時代なんだ、という。

「私は、女子大生です」「私は主婦です」と断定できていたのが、「女子大生をしてます」「主婦をしてます」と、「私じゃない」現象がこれだ、という。

うーん、演劇は、現代を読み解く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.11.15

うつすは、移す、写す、映す。。。。

うつは、うつ病のうつ、現世(うつしよ)はコノ世。うつ。

そうか、己が姿を鏡にうつすのは、鏡に写している己が姿は、鏡の前の己の姿が、鏡に移っているのだし、また、鏡の中の己は、己を映している(表現している)。
みっつの動詞にするからややこしいが、元はひとつの言葉だ。この言葉を手がかりにカウンセリングのキビ(機微)が語られてゆく。

「うつし 臨床の詩学」森岡正芳、みすず書房、2005-9-1。
セラピーは、ドラマ、演劇のメタファになじむ。

生きられている時間は、たとえば、彼が彼女に愛を告白する瞬間、彼女は受け入れてくれるかもしれないし、彼女は彼をひっぱたくかもしれない、予測のつかぬ時間です。ただし、私たちは、今日も、明日も、友達は友達として接してくれているとおもって生きてます(まーこっちがあたりまえなんですけど)。でも、時間が、こういう、過去ー現在ー未来と流れるのではなく、(過去から形成された)今ー今(予測のつかぬ未来)であることをセラピーの現場は教えてくれます(私の経験ではなく、読書が教えるセラピーの経験です)。これが舞台にたつーみる経験とよく似ています。

本で紹介されているカウンセラーの感覚の訓練に、無対象行動(小雪ちゃんが、目に見えない指輪をはめて、目に見えない指輪をながめる)があげられている。

自宅に引きこもりの高校生男子につきそって、ただ、その子のそばにいてってことで、3ヶ月目で、部屋の隅にある「絵物語シリーズ」って本をみつけてながめようとすると、その子が会話しだした。うーーん、やっぱり信頼関係ができるまではねぇ。

「私さがし」ではなく、「私らしさ」でもなく、「私」を私はわかりたい。それは他の人に「渡し」てしまわなければできない(と、だじゃれで(^^))、私を映してくれる目がないとできない。

私は、私を演じよう、どのように、いかに、と思うと、これしかないと思っていた生き方が、多少楽になることはありました。だから、演劇、映画をみたり、狂言するのはやめられないかも(笑)。

追記 おいらが昔々サイコセラピーのワークショップを受けていたころ、あるワークを、「あ、あ、おいらの人生、貧乏くじひいたよな、ほんと、つまんない人生じゃ」と思ってやってました。その日の懇親会で、おいらの横に座った、この人いい人って方が「悠さん、あのとき楽しそうでしたね」。えぇ、何言ってんだ、おぉ、おぉ、おいらは、あのとき、あんな楽しいときはなかったんだ!って頭がくるくる回って、号泣してました、おいら。こんなことがおきるんです、セラピーの世界。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2005.11.13

寝音曲@狂言会@八坂神社11-13(日)

午後0時30分の出番だったのですが、申し合わせ(リハーサル)をしようと早めについてリハーサルが終わったら、私の後の出番の、立命館中学の生徒が来ている、彼らは、能舞台にたつのは初めてなので、舞台へ案内し、立ち位置などの確認をする。彼らのういういしさが、こっちまで、乗りうつって、番前の不安へとつながってくる。

おいら、この寝音曲って曲、おもしろい狂言だと思ってるんだけど、当日配られる予定の解説には、「あまりおもしろい狂言ではない、、、、、」と書かれている。えぇぇぇぇ、演じる曲をまちがったかもしれぬ。

ええぇぇい、舞台に上がったら、終わるまでもどれんのやし、と舞台へ踏み出す。

相方と打ち合わせたすわり位置がちがうので、小声で「もうすこし、向こう向き」とか、ま、客席には聞こえまい、謡いの声が、ちと裏返ったが、客席にはわかるまい(それっばっかり(^^ゞ、、、、ってな調子で終わる(内実は、こんなんです、観に来てくださった方おられましたら、ごめんなさいですm(__)m。

| | コメント (15) | トラックバック (0)

2005.11.12

結婚ビジネスより、老人ビジネスを!

人は、自分を、愛情をもってみてくれる他人の目を必要としている。これがないと、自分が自分らしいと感じられない。(追記 箱庭療法ってのがある、箱の中に砂をいれて、人形などをただ、ならべる、それをカウンセラーがみている。カウンセラーは、なにもしないが、カウンセラーがいないと効果がない、こういう目が成長のために必要

「イン・ハー・シューズ」@映画

弁護士の姉ローズと、離読症だが、ルックス・スタイルのいい、はちゃめちゃな人生を送る妹マギーの物語。母は死亡、父は再婚、祖母は、リタイヤー後の施設にいる。
母の死、母と祖母の確執、祖母と父の確執、姉妹と父母、養母の確執。うーん、家族の不幸と、家族の再生がかかれている。ってことは、アメリカは、家族の深い傷をかかえた物語があるんだ(<簡単にまとめるな!)新婚旅行に出かける姉を見送り、マギーが踊りながら、、、エンディングになったときに、ひさびさに、拍手したい、って思いました。

ローズは、大人になって初めてのボーイフレンドを妹マギーにとられる。マギーは、どんな職業にもつけない。
ローズの結婚できるのは、弁護士を休業し、犬の散歩のアルバイトをしながら、婚約者からこころをひらけといわれ、祖母を訪ねたりして、マギーとも仲直りしてっていう面倒な手続きが必要である。キャリアウーマンのままでは、結婚できないぜ、っていう寓意じゃないでしょうね(^^)

マギーは、金をひきだすために、祖母とであうが、このリタイア施設で、老人の世話を仕事にしていく。そこで、退職教授に詩を読む世話をし、離読症をなおしてゆく。おいら、マギーが、詩を流ちょうに読むシーンで、おもわず、泣けました(どの場面かは映画でたしかめてくだされ)。マギーも、ローズも老人の力をかりて、立ち直ってゆく。ビジネスは老人あいてだぜ、ってもうじき、おいらは、世話される方にまわりますが(笑)

ローズがボスからシカゴ出張を命じられて
ボス「(ローズ)どうだ、いってくれるか」
ローズ「シカゴは、今、さむいので。。。。(行きたくない)」
ボス「じゃ、手袋をはめればいい」

ってな笑わす、小ネタがいっぱいはいってます(^_^)。

舞台は明日なのに、台詞さらわなきゃってんですが、だんだん、後回しになる、、現実逃避(爆)

| | コメント (12) | トラックバック (7)

いまどきの「常識」@香川リカ

泣くのをウリにした映画はみないことにしてるんですが、「世界チュウ」とか売れてるし。泣くのは、いいことだけど、「涙」したものが、絶対いい、という、こういう流れは、よくないんじゃない(すいません、おいらひにくれてますm(__)m)。
首相靖国参拝に賛成するひとは「戦死者の涙を忘れるな」、反対するひとは「遺族が涙する現実をつくった国の責任」と涙が引用されている「涙絶対主義」みたいな状況なんだそうです。
追記 笑う文化は低いってな風土がありますねん。過去と決別するには、涙より笑いなんですけど、「歴史は二度繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」これって、笑うことによって、過去からはなれられるって話なんですが。

愛知万博とともにはやった「名古屋嬢」ってのがあるんだそうです(ってのは、おいらの周りでは聞いたことがない)。おしゃれ+派手+化粧品、ブランドものがすき。派手ってとこだけは、大阪のおばちゃんと共通化(笑)。名古屋嬢の全員立て巻きカールってわけでもないらしい。自分磨きは不要で、「男受け」「結婚を優先する」。うーん、結婚のマーケット冷えてるしなぁ。男よ、よく考えたほうがいいぞ、って警告かもね。

「こどものTVをみせないデー」「三世代家族がこどもを守る」、ま、ま、かたいことはいわない、好きにしなはれ。え、え、(若者たちが)「若者が親や教師に感謝している」これはやめちくれぃ。鈴木宗男とともに逮捕された佐藤優ですら、「今のナショナリズムは危険だ」ちゅうてるのに、より過激な意見が声高に語られるようになっている。
いまどきの常識がわかるようになってる本です。若い人の常識がわからなくなってるおいらには、有益でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ALWAYS異聞

映画は、評判がよくてってんだけど、あまり良すぎるんで、ちと、別の意見を。
(堤さん、吉岡くん、小雪、、、俳優さんはうまかったし、映画もおもしろくいい映画でした)

あの濃密な人間関係って、今ないんだけど、それっていいことじゃない。
だって、地域密着型で、みんなが、みんなの生活を微にいり、しったり、しられてるってのってやだ。

こどもが、他人の人情を当てにしなきゃいきていけないってのもやだ。
昔、よく、お医者さんが貧乏人から、お金を取らないってのが美談だってのがあったけど、今、善意をあてにしないで、保険で病気を見てもらえるシステムの方が快適だ。
美談ってのの裏には、制度の不備がかくされている。

氷でもの冷やしていた時代より、今の冷蔵庫の方が快適だ。

アメリカンスタイルにあこがれて、キャッチアップしたけど、あまりいい生活ではない、伝統的なものがもうなくなっているってはある、でも、もう伝統的って、もどらないと思う。だって、当時、着物を普段着できている女性はおおかったのですが、もう、普段着できるってことが一般的じゃなくなってきてる。

今の生活様式を縫いつづりながら生きてくしか、しようがないじゃん、と思うけど。

なぜ、こんなに、手放し状態で絶賛って感想がおおいのかわからない。

おいらは、今のところへ、引っ越す前は、眠れない日がつづくときは、琵琶湖の向こうの山に落ちる夕陽をながめていた。これで、夜眠れてた。夕陽には、催眠効果があるって、おいらだけの話かもしれないけど、まさか「夕日」の催眠効果で、って絶賛ってなことはないよね(笑)

| | コメント (8) | トラックバック (4)

2005.11.11

善人あつまって、悪をなす。

小林一茶  こまつ座 一茶@北村有起哉 キムラ緑子 高橋長英他
下のこまつ座さんのHPみてね。(しばらく前にみた芝居です)

http://www.komatsuza.co.jp/kouen_new/kobayashi_iisa.html

一茶が、俳諧にしがみついて、パトロン探しや、パトロンなしで、俳諧に徹するか、等ともがきながら、俳句を作ってゆく。賭句(いちばん、だれが5,7,5の中に「は」を読み込めるかって賭をする)ってのがあって、そこへ商店の小僧一茶が掛け金ほしさに参加する場面から、一茶の生涯の回顧がはじまる。
一茶の句「よいがうえ、いよいよよいよ、よよのはる」(これで7つ)

芸術に疲れ、パトロンの世話で安泰に暮らそうとするが、これがうまくいかず、結局江戸をはなれ、信濃で、発句に専心しようとする場面までがつづく。

じつは、札差しの店から480両が盗まれた、犯人は一茶ではないか、と、座の連中が、芝居をして八丁堀の旦那が、犯人をあげるためには、犯人の気持ちになってみなきゃと始めたのが、上の芝居、って趣向。

じつは、一座の連中が、一茶を犯人にしたて、自分らは甘いしるをすおうとしているのが、八丁堀の旦那にあきらかになる。その瞬間、いままで、人のいい、親切だった連中が、町人の面が、悪の面構えにかわる。おおい、ブラックな芝居でした。

人のいい連中が、じつは、悪をたくらんでいたってのは、井上ひさしさんの芝居では、「雨」とかあるんだけど、そっちの方が、おもしろかったかな??。
俳句は座で詠まれていてその座に入れてもらうのが有名になるこつだったってのもよくわかります。
「音曲で言えば、一中節、、、長唄、みんな生まれは上方ですが、江戸へくだって隆盛しました。江戸には、芸人をやしなう力があるんです」って台詞がありましたが、いまでも、そうですよね(T_T)。イッセイ尾形、マルセ太郎(もうなくなられましたが)なんて、やっぱり東京での客数がちがいますもんね。関西に来ない芝居はあるし、関西にこない映画もある、ほんと、なきます(T_T)。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005.11.10

国家の自縛@佐藤優 

産経新聞社 2005-9-30
この人に最近注目してます。

キリスト教の「汝の敵を愛せよ」ってのは、「敵を憎む」ことによって、敵を客観的に分析する眼がくもる、これに対する警句として読めとか。うーん、そうだっの。

鈴木宗男とともに逮捕され有罪判決を受け控訴中であるが、かれの外交に対する熱い思いがつたわってくる。

ネオコンは、「民主社会においても政治はエリートによって支配されるべきである」という思想に支えられているとか。ネオコンに対決する公平分配は、田中角栄とか、鈴木宗男とかがになってきたのだとか。現実・思想を分析して、自分の使える、喧嘩の武器につかえるようにしているので、わかりやすい。
(これと、対称的なのが、「日本映画はアメリカでどう観られてきたか」ってな題名の文庫、何回読んでもよくわからなかった(T_T))

「デルスウザーラ」には、シベリアの少数民族が中国人によって殺されてゆくシーンがでてくるが、これは、ロシア人が、中国人に対し不気味な連中だと考えている大衆の意識が反映されているとか。

「きれいなタカ」か「きたないハトか」は、佐高信もいっていたが、清潔だけど戦争を推進する政治家がいいのか、ダーティだけど、戦争をおしすすめない政治家がいいのか、きれいな、醜いユダヤ人ってので虐殺したヒトラーの例もあるし。

佐藤さんが、外務省で若い連中の教育につかったというのに「太平記」がある。この本、「平家物語」をパロッた物語みたいだなと、私、思っていたことがあって、ほんと、平家物語よむより、この本をとおもうのだけど、太平記の紹介は、また、べつに。

| | コメント (7) | トラックバック (1)

2005.11.08

雑文読書-2005-11-08

■「街場のアメリカ論」内田樹 NTT出版2005-10-30
「こども嫌いの文化」の章には、かわいくないこどもが、描かれている映画として、トム・クルーズのおとっつあんが、わがままばかり言う子供二人を連れてただ逃げ回る、、「宇宙戦争」、招待したかわいくない子をつぎつぎ罠にかけてゆく「チャーリーとチョコレート工場」などをあげている。フェミニズム運動のあと、「こどもが嫌いだ」「配偶者を愛していない」「親が嫌いだ」と公言できるようになった(そうだったのか(笑))。ってな、映画論もまじってます。

■下流社会 三浦展 光文社2005-09-20
若い女性を、(1)お嫁系 (2)ミリオネーゼ系 日本橋でみられるらいしい (3)かまやつ系 (4)ぎゃる系 (5)普通のOL系 わけている。ぎゃる系は、早婚、子持ち志向なんだそうだ。
若い男性は(1)ヤンエグ系、(2)ロハス系 (3)SPA!系 (4)フリーター系
(2)は、高収入だが出世欲がない、(3)は、仕事をするしかないので、仕事をしているタイプ。
もう若い時代はすぎたので、自分がどれかなんて考えることもないので、ただただ、おもしろがって、それぞれの消費行動、行動パターンなどをふーん、そうなの、へぇーとアイの手をいれ読み進む。

■映画のパンフで、若松孝二@「17歳」映画監督が、「連合赤軍の粛清がなぜおこったか、きまってる、その前に幹部がぱくられて、おじき、親分がいない、子分だけになったからだ」(うーーん、禅の公案が解けたみたいな爽快な気分、そーだったのか(笑))。

■阪神の日本シリーズでのふがいない負け方を憤慨している鴨下信一さんが、野球も、他のエンターテイメントからまなべ!経営は歌舞伎に学べ!他のスポーツから学べ!と書いている。ほんとだ(これはサンデー毎日)。週刊朝日は、イェジンと阿川さんの対談。韓国の俳優は、大学演劇学部を出ているそうだ。うーん、日本にも演劇学部がつくられなあかんよな、と思う。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.11.06

あなたは、未来の指輪がみえますか?

「ALWAYS 三丁目の夕日」、あの時代をリアルですごしているんだけど、なぜか、おもいだせない。たしか、三角野球(一塁と三塁で、二塁のない野球)を陽がくれるまでやっていたり、叔父さんの家で、TVを何人かでみせてもらっていたって記憶があるんだけど(叔父さん、迷惑やったろうな^_^;)。浮かんでくるのは、私設幼稚園を勝手に休んで、日向ぼっこで時間つぶししたたり、一人のときがおおい。

六ちゃんが、押入れで「かえるところはないんです」って叫ぶところで、涙がでてきた。おいら、泣く映画は嫌いだっていってるでしょうに(T_T)。

「ロシア文学を読んだこともないくせに」はーい、60年代終わりには、「どん底」なんて喫茶店飲み屋さんがありました。その前には、「歌声喫茶」があって、カチューシャ(頭につけるやつと違います^_^;)なんてのを歌唱指導してくれていた。

吉岡くんが、人情物のいいひとではなく、嫌なやつにかかれてたり、堤さんが、え、え、え、零細企業のたたき上げのおっさんをうまく演じてました。ハットをかぶった東京駅での堤さんは、おっしゃれーーーでした。

淳之介くん、うまいですね。

あの指の演技、あれが無対象演技ですねんけど(>あかん隊さん)、あれは、舞台ではなく、画面に大写しになる映画ならではですね。

2005年1年期間限定、堤真一、舞台、映画、はい、見終わりました(^^ゞ。

本日、後輩の舞台みにいったら、八坂神社に鴈治郎さんが。襲名祈願と、お練りがあるので、舞台は、それまでに終了しました。

| | コメント (17) | トラックバック (20)

なぜ男は老いに弱いのか?

三好春樹著 講談社文庫 2005-10-5
老いに待ち受けているのは、「女性中心社会」。ここで、男が、快適に生きるには、今までの生きかた(ちゅうか、会社、肩書き、金、、、)なんぞを忘れることだ。必要なのは、近代的合理的個人主義ー自立した個人ではなく、依存する個人だ。

成熟した大人、自立ーーうーん、こんなのはもう、身についてないし、つかないや、でも、一応目標ではあったんだけど、おいら(笑)

スターバックスへ、初めて行ったときのように、トレイもってうろうろしていると、
店員「なにかおさがしですか」
おいら「このサンドイッチと、コーヒーがほしいんじゃが、どうすればいいんかのう?」
店員「こちらへおいでください」
ってなことがあった。あれをニコニコと笑ってやってればいんのだ。「わしゃ、なーも、わからんけーのー」(急に広島弁になってます)、これだ!。

男は、女とくらべると、あわれだ。女の実感しか信じないちゅう、健全性を学べ、と言う。勤めてて効率的・合理的な感覚をもった男が軽蔑する「女の長話」。おいらも、軽蔑していたが、ある日気がついた。あれは、長話力ともいうべき、才能なんだと、気がつくべきだぜ、男ども!。男どうしで長話ができるの相手ちゅうのは、少ないな~、やっぱり。

こどもは、神聖だちゅう伝統があって、老人は、こどものようになるっていう日本のモデルって、いいんじゃない、って思う。

著者は、高校生のとき逮捕され(おいおい、逮捕されるようなことをするのは、大学生になってからだぜ、って言ってもしょうがないか)、中退し、老人介護の現場にはいった人。吉本隆明(吉本ばななのパパ)と対談集(「老いの現在進行形」)も出している。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2005-11-05悠亭日乗

一年に一回か二回、同業者3人と、食べ歩きと、歴史関連をたずねる会合をもっている。今年は、堅田方面をあるこうか、という話だったが、土曜日(11-05)は雨だぜ、ってんで、京都国立博物館に行こうかって話しになっていた。でも、晴れた、でも、予定はかわらず、「最澄と天台の国宝」展に行ってきた。
滋賀県一部京都の寺のものが展示されている、中には、中尊寺からきているものもあった。

「信長が焼き討ちした寺は、比叡山にかぎらず、他もおおい」
「比叡山が焼き討ちになったとき、仏像をもってにげて、寺に保存してる、でも、比叡山には返してないって寺がこないだ行ったとこにあった」
「まさに、<火事場泥棒>じゃない(笑)」
ってな与太話をしながら。

で、堅田へ行って、小野神社は二つ(ひとつはドウフウ、ひとつはタカムラ)、妹子は古墳になってた。新田義貞の妻の勾頭内侍の墓、堅田源兵衛の首、などを見て、浮御堂ー浮御堂の横の料亭で、「かも」をたべてかえる。

膳所の義仲寺に芭蕉の墓がある(「木曾殿と背中合わせの寒さかな」って句がある)、ところがここに、日本浪漫派の「保田與重郎」の墓がある。これがなぜか、わからなかったが、(だって、木曾義仲でしょ、芭蕉でしょ、その墓しかないところに、墓をたてさせてくれっていっても立てさせてくれないですぜ)、わかった(義仲寺は、円満院末寺であったが、円満院からの独立にかかわる、らしいって書いておこう、与太話だから(笑))。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.11.04

詐欺師こそが人のこころを知る!

ブラザーズ・グリム」
グリム兄弟が、村の人々のこころの中にひそむ、霊をおそれるこころを利用して、金儲けをたくらむ詐欺師として登場し、フランスの将軍につかまり、こんどは、村の中の本当の霊と対決する。

この詐欺師って職業、「T・R・Y」@織田裕二、これは、上海を舞台にする映画だった。「運命じゃない人」@あゆみちゃんは、高級車にのってる人をかもにするもの(ただし、映画には詐欺の手口はでてきません、映画を小説にしたものに、詐欺の手口ーいかに、宮田くんがかもになったかーがかかれてます)。最近では、「ドミノ」で、賞金稼ぎ養成講座を主催し、会費を持ち逃げする、、、。

とりあえず、虚構をつくりあげる、人の世は、なにげなく暮らしているーしかたのないことの集まりのようにみえるがーどっこい、この世は、あの手、この手で仕組まれた世界、人の作為のあつまりだってことをわからせてくれる。

悪徳商法の犠牲者って、おいおい、そんなのに、だまされるか、ってなものがある。悪徳商法を取り締まるのも必要だけど、「世の中、よいこばっかりじゃないぜ」「気をつけな」ってな教育したほうがいいんじゃない、あるいは、「如何に人をだまして、金をとる方法があるか、考えてみな」ってのを授業でやったほうが、よっぽど、ましじゃないかって、思う。

って、映画にでてくる鏡の女王のうつくしさが、人のこころをとらえるのを見ると、え、え、えぃ、美しさこそが、詐欺よりも人のこころを捕らえる、これは、だまされるぞ、って思うけど(笑)

| | コメント (12) | トラックバック (4)

シュレーディンガーの猫

小倉千加子 いそっぷ社 2005-08-10
小倉さんは、「人(とくに男)は、ジェンダーに支配されている」ということを何回も繰り返し語っている。

この視点から、たとえば、森瑶子の小説が、なぜ、外国のホテルを舞台にしているかとか、がおもしろい。

男は、女性一人を所有し、権力を行使し、優越しなければならない、というすり込まれた意識が男を犯罪にはしせたり、家庭内暴力をひきおこさす。

巻末の山本文緒の対談で、
小倉 へぇー結構な・・・・。
山本 結構、なんですねん(笑)
っていうつっこみがはいってたので、山本さん、ってっきり大阪の人だとおもったら、ちがってた。

あと、おもしろかったのは、神戸(上品)に対して、大阪の笑いがあること。
(そういえば、京都で学び、大阪で働き、神戸で住むってのが、関西人の理想なんだ(^^)、おいらは、やっぱりスタートをまちがったのがいかんかった(笑))。

こういう感覚は、関東人には、わからないよね。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2005.11.03

2005-11-03

買った本
表現力のレッスン 鴻上尚史 講談社 2005-10-20
メイク、髪型、ファッションほどには、「声」「体」「感情」にも注意を払おうねって本。
かかれているレッスンは、体、感情、声がやわらかくなる。演劇の稽古するまえの、からだ、こえほぐしのレッスン。
めちゃめちゃに言葉をだす「ららっぽらりほんだ」などでも、やっぱり自分のもっている癖、中国語にちかいとか、韓国語にちかい、とかの癖があり、体をでたらめにうごかしても、やはり癖があるって指摘がおもしろかった。

待場のアメリカ論 内田樹 NTT出版社 2005-10-31
ここのところずっと、内田さんの本を追い続けている。あとがきで、「私の想定読者は、、、トクヴィルである」と書かれている。トクヴィルは、キッドマンの「ドッグウィル」関連(なんとなく、発音がにてるでしょ)だとおもてって、これから読むのが楽しみ。

能に学ぶ身体技法 安田登 ベースボールマガジン社 2005-10-21
鴻上さん、内田さんの本は、いずれ、話題になるんだろうけど、こういうのは、話題にならないはず。やっぱり、インターネットで注文してないで、たまには、おおきい本屋をのぞかなくてはいかん(^^ゞ。「夜会」@みゆきさんのなにかのとき、能楽師が出演されてて(このときは、チケット抽選はずれました)、このとき出演されてた方だろうか。「能の体の使い方は、深層筋を活性化させている」らしいとか(ほんとか?)。

観た映画
ブラザーズ・グリム」
グリム兄弟が、霊封じを行う、、、実は詐欺師って出だしからずっと最後まで、おもしろかった。フランスの将軍が「impossible」なんていうコネタに笑ったり。

「ホールドアップダウン」
MAKOTO以来の愚作。「容疑者室井慎次」の出来とどっこい、どっこいかな。
出だしは快調だったけど、中間あたりから、おかしくなった。
どんなシチュエーションがでてもいいんだけど、内在的な論理(ま、つじつまあわせ)がうまくなきゃ、いかんのじゃないかい。最後どうなるかだけみとどけようと、最後までいましたが、最後もあちゃってな映画だった。

西武から、IR膳所駅にむかうすぐのところに、韓国のものをあつかってる店があって、「チジミ」と韓国製インスタントラーメン(つゆがまっかになるそうで、からいとのこと)をかって帰る。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.11.02

ヴェニスの商人〜2@映画

ロレンゾと、シャイロックの娘が、星の夜を見上げての「こんな夜だった」ごっこが映画では抜けてまして。。。
ロ「こんな夜だった、ハムレットが叔父王の命令で、船でした夜は。。。」
娘「こんな夜だった、ロミオが、ジュリエットを思って、眺めた夜は。。。」
(引用の文句はでたらめです(^^)、こどものためのシェイクスピアカンパニーで、こういう風にシェイクスピアの登場人物に当てはめた台詞になおってました)。

この間、鴻上尚史と監督の対談で、監督が「ヴェニスの商人」の喜劇的な部分を削ったって発言してたのは、ここだったのかと気がついた次第。

でも、ぽつねんと、二人で、夜空を眺めて、ごっこしてるのって、シャイロックの娘は幸せになるんだな〜って雰囲気があって、よかったんだけど。

| | コメント (6) | トラックバック (5)

2005.11.01

「教室を路地に」

唐十郎/室井尚 岩波書店 2005-9-27

幸せな時代だった、演劇をみてると、ちょうど、そのときの時代の気分というか、おいらたちの気分とぴったりだった。今は、うろ覚えにたどってみると、京都 @糺すの森に出現した赤テントの中で詰められて、根津甚八演ずるヒロインが長い台詞のあと、矢の先には火が燃えている矢をつがえると、テントの後方が開 き、そのまま、矢がやみに飛んでゆく。ってなシーンは覚えている。

京都@岩倉にあった映画館だと思うんだけど、佐藤信@黒テントの芝居。俳優座でも、「狂人なおもて往生をとぐ」@清水邦夫、原田芳雄が主演だった。文学座でも宮本研「美しきもの伝説」ってをやってた。

演劇って、そういうものだと思ってた。その後、福田善之作「真田風雲録」@古谷一行、再演か再々演を見たが、あれ、ちがうって感じたことがあった。(福田さんのこの芝居 は、ウンパッパ、ウンパッパ、やりたいことをやるんだ♪ってな歌がはいる和製ミュージック、井上ひさし、がこれを見て劇作家になるのを一時やめたことがあ るってのをどこかで書いてます)
作品は、見たときより、10年前にできてて、やっぱり、10年前の作品と思った記憶が。一人猿飛佐助だけが生き残り、ふっと、独白が続くのだけれど、あ、これは、個人の力量をもった時代の言葉で、おいらたちのように、石のかたまりみたいな集団でってのとちがうとおもったのかな。

なんで、芝居みにいってたか、ときどき、思い出したように観てた気が??、あまり記憶がないんです。たしか、学校でて一生のうちで、唯一、勤め人してた後は、ぷー太郎してたりしてるから、、、。観にいく余裕もなかったし??

このころ、シェイクスピアとか、歌舞伎とか、能とか見たいとかぜんぜん思わなかった。

唐さんが国立大の教授になり、蜷川さんが大学学長になったことを、とやかくいうやからには、「へん、じゃ、なってみな、」と思ってた。

唐さんの芝居、あの時代以降観てないんだけど、一度TV@「北の国から」で、漁師の親方ってな役ででてきて、海での戦いをひとり語りする場面があって、唐さん、健在ってうれしかった。この本も唐さん、健在です。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2005年10月 | トップページ | 2005年12月 »