表に物もうとある、案内とは誰そ、
どなたでござる」「えぃ、私でござる」「えぃこなたならば案内に及びましょうか、なぜにつーっととりはなされいで」
ってなのが、狂言の知り合いをたずねるときには、でてくる。これは、オペラでも、物語の転調の種類などは、どの作品でも共通なんだそうです。狂言は、オペラ・ブッファ(喜歌劇)だと、林さんはいう。
能が完成し、秀吉が、「明智打」「柴田」「北条」なんて能をつくらせ、自分が秀吉の役をして舞う、これは「かぶき」じゃ(^^ゞ(トロッキーも革命劇がつくられたとき、劇中のトロッキー役を演じている、こういう権力者の共通点、すぐに、他人に天下をとられることだ)。で、江戸時代、「能は弾圧される」四座一流は保護されるけれども、保護された以外の能は禁止される。これ以後、古い芝居を演じることしかできなくなる。
このとき、沖縄経由でやってくるのが三線、この三線を琵琶風に改造したのが、三味線、この異様な楽器が歌舞伎を支え、がんじがらめにされた中世から、きままな現世を生きようとするひびきをもって、エドの芸能をつくってゆく。
これが明治維新で、洋楽が導入されて、発展がとまる。
と、まーざっと、こんな調子で続いていきます。
「わたしの日本音楽史」林光 晶文社 1983-3-10
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