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2005.11.18

葬式ごっこを演劇からかんがえると。。。

富士見中学の鹿川くんのいじめー自殺事件を例にあげながら、ドラマツルギーを考察しています。

「ベケットと『いじめ』」@白水Uブック 2005-8-5 もともとは、1980年代に岩波書店主催の研究会のようなもので話されたものが、本になったもの。

富士見中学事件のおさらい
 鹿川くんがけがをして学校を休んでいた。
 鹿川くんが登校するまえに、「鹿川くんが死んだことにしようぜ」って提案されて、鹿川くんの机に写真、色紙の真ん中に「さようなら、鹿川くん」と書いて寄せ書きをした。先生も寄せ書きしていた。
 鹿川くんは、登校して「おれがきたらこんなのかざってやんのー」と言った。

この後、鹿川くんは、自殺する。

もし近代的個人として、鹿川くんが、行動していたら、「誰がなぜこんなことをしたのか」と問いつめ、グループと対決という、ことになっていたであろう。

ところが、この事件を鹿川くんはスルーしてしまう。鹿川くんは、対決では解決しないと考えた。
上の事件では、悪意のある企みが、「遊び=冗談」のように装おわれている。鹿川くんと、グループの間の関係がつくりだす状況のなかで、鹿川くんは、「主体として行動できない」状況にある。これが現代ではないか。

演劇の変容が現代とかかわっているとすれば、従前は、近代的個人が世界と対立するという構造をもっていたが、現代は、人間関係の中で、主体としてうごきがとれない、状況にあるのだということに気がついた時代なんだ、という。

「私は、女子大生です」「私は主婦です」と断定できていたのが、「女子大生をしてます」「主婦をしてます」と、「私じゃない」現象がこれだ、という。

うーん、演劇は、現代を読み解く。

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