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2005.12.17

東京の神社や寺院は、縄文期の記憶を宿している。

縄文期、東京は、複雑なフィヨルド状の海岸地帯だった。陸地だったところと海だったところがある。で、陸地の大地の岬だったところに、神社や寺院がある!

「アースダイバー」中沢新一 講談社2005-5-30

東京の地図に、縄文期の海、陸地だったところを書き入れてみる。
東京タワーは、海原に突き出た大きな半島の上に立っている。このあたりは、「サッ」と呼ばれる聖地だった。ここに、朝鮮戦争で廃棄処分となったアメリカの戦車を解体しー手にはいった良質の鉄を素材にたった電波塔である。

銀座は、元海で、埋め立てて、京都からやってきた貨幣職人を住まわせたところ。
このあたりを仕事場にしていた「金春芸者」は、気位がたかかった。その後、明治2ー5年にかけて焼けたため、ここを日本の玄関とした。

明治初期、田舎からやってきた元田舎サムライを馬鹿にしていた金春芸者。
ところが、名古屋からやっってきた、気さくな芸者があつまったのが、新橋。
ここが繁盛したが、ここは、烏森神社=霊力のつよい狐をまつる神社がある。
この霊力と、新橋芸者で、繁華街は、癒しパワーでみたされる。

サムライをうんだのは、東日本の狩猟民(西日本は、宮本武蔵とか、佐々木小次郎とか、職人芸で、乗馬、集団戦法を得意とした東日本とは異なる)、これは、同じく狩猟民であるインディアンとは、同じルーツだ。

「三丁目の夕日」「ラストサムライ」「SAYURI」関連でひろいだした、記載。

いやぁ、東京って、赤坂、道玄坂、渋谷、日比谷とか、谷と坂のつく地名がおおいなっては思ってたんだけど、そんな過去があったとは(笑)。

東京の地下には、渋谷の街の真ん中を流れていた川が、いまでも、暗渠となって流れている。すごいな〜東京。

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