薪は灰になるけど、灰は薪にならない。
「薪が先で、灰が後じゃない、灰は灰、薪は薪、でも後先はあるんだけど」(道元、正法眼蔵」)。何度か挑戦したけど、「正法眼蔵」はわからない。「うまず女は、夜児を産む」など歯がたたない。
大学時代、参禅会ってのがあって、近所の禅寺で、1週間泊まり込みがあった。おいらは、軟弱だから、昼間だけ、参加させて下さい、夜は下宿で寝ます、あ〜いいよってんで参加したことがある。禅をすると、感覚は鋭敏になって、離れで老師が、うどんをすする音が、聞こえる(こらぁ、そんなに大きな音たててすするな!)(っても、普段なら聞こえないのですが)(まー空腹のとき、角をまがった焼き肉屋がにおいでわかるってのにも似てる(^^))
40歳終わり頃、1年だけ、月1回の参禅会に1年だけ参加してた。これは、食事、座禅堂の掃除もこみだった。ここで、「正法眼蔵」の購読を受けた。でも、ますますわからない。寺田透、森本和雄の解説も読んだがますます、わからない。
ちなみに、禅はエリート主義だから(だって、己一人が仏になれればいいってな仏法だから)、これにつかれた人のなかには、「あ、あ、この人禅さえやらなければ、いい人なのに」ってな人に、何人かであった(^^)。
「ゾウの時間、ネズミの時間」の著者が、「ネズミも時なり、竹もときなり」という道元の時間論を読み解いてゆく。「いくたび過去を思っても、それは今なんだ」ってのを、一瞬のうちに違う曲にとぶMDを例に、時間が長いテープのような時間じゃないことを説明してくれる。
おもしろい本でした。
「おまけの人生」木川達雄著、阪急コミニュケーションズ2005-6-19
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