明治デモクラシー@岩波新書
2005-3-18
やっぱり、時流にのらず、こつこつ研究する碩学の話はすごい(って、坂野さん、おいらが知らなかっただけかも(^^;)。民主党も、前の選挙の後、目先をかえず、じっと、がまんしてりゃよかったのに(^^))
明治デモクラシー、明治13年「主権」「国会」が議論されたころから、政党が「官民協調路線」(ま、今の自民党ですね(^^))に至るまでの整理。
(ほんとに整理しやすくなってるので、うれしい(^^))
明治維新後
海外雄飛派(西郷隆盛)、富国強兵派(大久保利通)。議会派(木戸孝允)。
西南戦争で、西郷失墜。大久保暗殺。後は、長州が政府中枢。
明治のデモクラシー運動
「主権」「二大政党制」をテーマに、土佐自由党、英国流二大政党論を唱える福沢諭吉=交詢社系らが活動。
(大正になると、「主権」が抜けて(だって、主権は天皇にあるってのは、動かせなくなるんだから)「二大政党」と「普通選挙」、昭和になると、「普通選挙」が抜けて(だって、実現するんだもん)「社会民主主義論」と「二大政党」)
ずっと、二大政党論をめぐって、私らの先祖は、議論してきてたんだ。最近になってのことでないんだ。
鉄道敷設等の「積極政策」を増税(地租の増徴)を切り離し、(からめると「積極政策」反対する人が多くなる)「官民協調」でやろうという政友会が過半数をとるのが、日露戦争後の明治39年。
官民協調=政・財・官が一体となってる自民党政治だよね。増税を国民が気にしなくなったときの明治39年に、この体制ができあがる。いまも、この体制から免れてないのかも。
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コメント
殿、彦根城の桜はいかに?
投稿: かと | 2006.04.13 06:12
■かとさん、おはよう。
昨日8分咲きみたいだったと聞いた。今日、明日かな、満開は。
投稿: 悠 | 2006.04.13 08:03