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2006.05.20

「都市に祝祭はいらない」

平田オリザ@青年団主催者、晩声社、1997・7・28刊
昨日青年団の芝居をみたとき、ロビーで売ってたので、求める。

ずっと、平田さんの本の読者ではあるけど、これが、平田さんの芝居の解説として一番、わかりやすかった(^^ゞ

たとえば、デュシャンの作品として、便器が、美術館に展示される。これは、作者が世界は便器のようなものだという、作者の世界についての表現である。

こんなものが、おおくの観客に理解されるはずもない、これは、じょじょに理解を得てゆくしかない。で、観客は少数であるので、それでも、職業として成り立つようにする。

演劇も、作者は、世界の混沌を、このような混沌としたものであると表現するにすぎない。現代は、何が世界かを呈示できない。ただ、混沌を、そのまま、表現する、このような演劇が求められているのだ、と平田はいう。

あーそうだったのか。伝統芸能をみただけで満足できないのはこれだったのか!とかぶれやすい、おいらは思う(^^ゞ。

「我思うゆえに我あり」が近代人のこころをとらえ、「私達は、天皇の赤子である」という信仰がこころを捉えたときもあった。
しかし、いまは、混沌としているのだ、この世界は。でも、どこか、わかりたい、って思ってるんだ、おいらは。

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コメント

「カオス(混沌)」というのは、本来「方向性を持った混沌」である、と聞いたことがあります。
人として、どうあるべきか…、根本を考えさせられることが多くなったように思います。「年齢」のせいか、はたまた「時代」のせいか(^^;)。

>わかりたい
そのお気持ち、痛いほど。

投稿: あかん隊 | 2006.05.25 00:02

■こんばんは、あかん隊さん
ねぇ、わかりたい、なんか、感じるけど、言葉か形にしてもらわないと、わかったって感じがしないんですよ。
混沌だけど、どの方向、一つでなくてもいいけど、方向がわかりたいですよね。

投稿: 悠 | 2006.05.25 19:29

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