きみぃ~、猫はなんですか?
「大衆の原像」「自立」「二重権力」等が頭をあつく占領してた、おいら、4回生になって、ほんとは2回のときにとっとかなければならない授業にでたときのことだ。
で、哲学の連中も、こういう訓練を受けてるはずだ、ずっと、思ってた。
ちがったんだ。哲学の論文の審査は、互いにわかってなくとも、わかってることを前提にしてるんだ、論文の対象の本、訳せ!なんていわれたらできないんだ!!
たとえば、「実在性」と「現実性」@カントって言葉がどうちがうかわからない、と著者は、告白しつつ、ハイデガーの講義録を読んで、
「存在するというのは、実在的な(レアールな)述語ではない」これでは意味がわからない。
「存在するのは、事象内容を示す(レアールな)述語ではない」と読み解くとわかると納得してゆくプロセスを書く。
「犬は四足である」って場合なら、四足は犬を説明してるじゃない、ところがさ、「犬がいる」(存在する)っていう場合はさ、犬を説明するんじゃないでしょ」(かみくだき=悠)って意味なんだと読み解く。
こんな話がつづいてゆくので、哲学の訳書よんでるよりよみやすいし、わかりいい(^^ゞ。
| 固定リンク
コメント