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2006.06.04

対話の効用

この間、うちの業界の若手と、演劇の話をしてた。
「いいか、宝塚へいけるちゅうのは、誘ってくれる宝塚通の知り合いがいて、まーこれがステイタスシンボル(笑)」
ってジョークを言っても、まじめに聞いててくれる。

でおいらが取材すると、、
「あなたが彼(彼女)とであったのはいつですか」
答えはたいてい「そうですね、うちの兄に長男ができて、その宮参りの後だったですから、平成??年??月ころですね」(と、考えがゆきつもどりつ、核心に向かう)。
(聞きたいのは、「平成??年??月ころ」だけであるから、おいおい、結論だけゆうてくれよ)

あーそうか、これって、平田オリザが言ってる文脈が違うってことか。
「いつですか」
「平成13年4月です」
「なぜ、そんなにはっきりと覚えているのですか」
「兄に子供が生まれて、兄が宮参りに帰っていた後のことで、宮参りが??ですから、あったのは、??になります」
こういう流れを期待しているのだが、いつも、こんなにスムーズにいくことはない。

そうか、おいらたちが悪いのだ、日本語の結論は、思考の最後にくるのだ!
欧文脈みたいに、考えているわけではないのだ。

そうか、問い方を変えねばならぬのだ。
「彼(彼女)とであったころで、なにか、覚えている出来事はある?」
「。。。。。。。宮参りがありました」
「その子はいくつになっている」
「いま??才です」
こういう、ずれのない、問いをしなきゃなんだ。

平田オリザ、読んでるときは、気がつかず、他の人と、しゃべってるときに気がつく。
対話はこういう効果があるっても、おいらが鈍なだけの話だけど。

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