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2006.08.30

「二重言語国家・日本」の歴史

石川九楊著  青灯社  2005-8-15

和というか、倭が、中国の影響の下に、漢字と格闘し、国語元年というべき状態をつくったのは岡田英弘さんの「日本史の誕生」にも書いてあった。
書家である著者は、1182年、1200年年代の間に起こった「書」の変遷。これは、十字軍遠征、モンゴルの台頭、中国からの亡命者の受け入れを通じて、日本でもいままでとは違う意識がつくられてゆく変遷の中のできごとだと述べる。

京都、鎌倉の禅院、五山文学を支えたのは、宋から亡命してきた亡命僧である。彼らは政治のブレーンであり、外交官であり、貿易をおこなう人であった。彼らがもたらした書を和様化したのが一休であるという。

日本の漢字は、中国のものである、この漢字と格闘し、平かな、カタカナを作り、使い粉いてきた日本。そのときどきにおける、中国からの文化の導入=格闘を通じて、日本語は練られてきたのだという。中国からの影響を考えて、影響を受ける前の姿を妄想するところから神代文字、やまとこころ、が生まれるという。

華道の中心は立花。花を切って立てる、これは墓標を立てるのに似た行為ではないか。
茶道で、かけられている軸、あれは、遺げ、辞世ではないか。
仕舞とは死舞(死に臨んで舞う)ではないか。
と著者は、日本の文化は死に覆われているのではないか、と、言う(うーーん、そうか、??

小堀遠州は定家流の字を書いた。遠州は茶人、茶といえば、菓子、そこで、菓子屋の看板の文字、お菓子の名称は、定家流でかかれている。(おお、と使えそうな、事実の発見(^^ゞ)。

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