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2006.09.06

悠亭日常2006-9-6

新聞を読んでいて、農村の衰退ってのを見た。うーん、そうだよな、東京に住んで、夜な、夜な、浮かれてくらしたいよな。うん、これって。そうだ、『へルター・スケルター』@岡崎京子(ただ、整形しまくってゆく女性の栄枯盛衰物語)だ。

食べ物を外国に依存し享楽を追い求める。これって、体を整形しまくり、移植しまくる、「ヘルター」の物語と一緒だ。と思ったら、「ヘルター」がシンクロした。

漫画、映画、演劇ってのは、こういう、世の中を考えるモデル・イメージだ。
論理的に考えているわけではなく、多分、イメージを変えたり、修正しながら、あれは、なんだ、って勝手に脳が考えてくれてるんだろう。

■たぶん、夏になると「反戦物」が多いが、こころをうたないのは、語られる戦争のイメージと、今の私達がイメージする戦争とが違うからだと思う。芝居を古い演出で見ている気がするからだと思う。

■著作権違反で、問題となった「Winny」だって、ソフトの関連はよくわからないが
「金物屋で売っている」「包丁は切れる、人を傷つけることができる」

金物屋が「人を傷つけることができます」と包丁の能書きを書いて売っていたら罪になるか。能書きをつけずに売っていたら問題ないのに、能書き=包丁の性能を書いただけ=をつけると罪になるか、と同じ問題ではないか。と考えると身近になるのと似てるか<似てない!!

■東京の井草神社の「能舞台」で、「那須の語り」を演ったビデオをもらっていて、これをDVDにしてもらった。見ていて、「うーん、うまいな」と自分で思う(素人は困ったもんだ(^^ゞ)。
チェックして、5ケ所ほど反省するところはある。
しかし、1年間、声の訓練して(途中で声がでなくなったこともある)、望んだ舞台、他の手直し=間違いを修正はできても、あの、ういういしさは、もう出ない。。。。

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コメント

悠さん、こんにちは♪

反戦物に心打たれないというのは、先日の私の読書感想のほうへもコメント頂戴いたしましたね。
どのようにすればみんなの心に響くんでしょうかねぇ。


そして、私、悠さんに謝らねばならない事が・・・。
ご存知の通り私はgooのブログを使っているのですが、メール機能はあまり使っていないのです。
そして新着メールのチェックなどもしたことがなかったのです。
ところが、本日たまたま思い出したようにチェックしてみたら・・・・、なんと2ヶ月弱前にメールをいただいているではありませんか!
てっきりgoo同士のみのメールしか来ないと思っていたので驚きと共に、こんなに気が付かなかったなんてと申し訳なさで一杯になってしまいました。
本当に申し訳ありません。
取り急ぎこちらのほうで謝罪を・・・。
メールの内容は宝○秘話でとても面白かったです!

投稿: ミチ | 2006.09.07 18:43

■ミチさん、こんばんは。
メールは、ブログの記事つづきなので、お気になさらずにm(__)m。
反戦物では、ガキデカの作者が書いた「光る風」って、次の戦争へとなだれ込む様子を書いた漫画で、戦争へと、なだれ込む社会って、怖いな~と思ったのがあります。大友克弘の漫画も。それと昨年みた「演じられなかった三人姉妹」劇場をテロリストが占拠する、ロシアの劇場を占拠したチェチェン人の物語で、国は助けられた観客を見捨て、愛国心=戦争心をあおるために観客を犠牲にする。国は、絶対観客をたすけようとしない!と。(このあたり、漫画家とか、演劇人の方が感性がいいかな(笑)。

投稿: 悠 | 2006.09.07 20:21

こんばんは。
初々しさとは別の、良いものが、今はきっと。(^^;)
「反戦」は、「感情」に訴えてもだめですね。
だって、戦争自体が、国民の「感情」に訴え、煽って成立するような要素を持っているように見えますから。たぶん、もっと別の要素「論理的」というか「物理的」というか、「感情以外」の要素がポイントかもしれないとも思います。

過去の戦争の結果を冷静に見つめて、それをどう捕らえるか、「悪」とするなら、それはどうしてか、そうなった原因は、何なのか、よく考えなければなりませんよね? 国(それがなんなのか、いまだによくわかりませんが…)は、利害で動くもののように感じています。国民は、すべて「コマ」なのかもしれません。

投稿: あかん隊 | 2006.09.07 23:11

■あかん隊さん、おはよう。
>国は、利害で動くもののように感じています。
>国民は、すべて「コマ」なのかもしれません。
そうですよね。ほんとの怖ろしさは、このあたりにあると思うのですけど。
井上ひさしさんも「父と暮らせば」「紙屋町さくらホテル」とか、芝居をかかれていますが、「紙屋町」は、原爆が落ちる直前で終わっています。戦争の悲惨さ、死とかを直接かたると、自然災害での悲惨な体験と同じにみえて、戦争が人為的(だれかが、戦争を起こす、戦争をおこすために、なにかをする、思想統制、経済統制、、、)なものが見えてこなくなる。このあたりに、直接体験を語るということの限界があるのかな(^^ゞ

投稿: 悠 | 2006.09.08 06:05

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