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2006.09.27

演劇と社会

チュルフィッチュの芝居を見て、言葉を話すときの人間の体というか、話すとき私たちの体は、どうなっているのか?と考えさすものだという気がした。
はなされる言葉自体が、熱くない。。。体は、ねじれている。

若者たちの、言葉を発したくない、しかし、ことばで話さなければならない、状態って、芝居にするとこんなもんじゃないか?とおじさんは思ったけど、どうなんだろう。

昔、ベケットの「ゴドーを待ちながら」という芝居〜2人がひたすらゴドーをまっている、しかし、ゴドーはあらわれない〜これって、何かににてるぞって思ったのがTV。

TVの浅間山荘事件って、ほとんど何もおこるわけじゃない、、、しかし、見ている方は、TVを眺め続けている。あ〜そっか、こういうことなのか、と考えた。
芝居は、状況をさきどりするものだ、さういうおもしろさがある。

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