意思の強さって?
タバコをやめようと、思った人がタバコをやめられない、これって、意思が弱いの?
回りの人からみれば、「タバコをすってるんだから、すうってことに関しては、やめないってことにかんしては、意思が強い!」ってことになるんじゃないの?
そのときどき、「仕事が終わった、ここで一服^^」「コーヒの合間に一服^^」とタバコをすうことを選んでいる。
タバコをすう合間に、頭のなかで「タバコやめよう!」って思うのが、そもそも意思なんだろうか?。
会社で、「ノンシュガーのカンコーヒーを発売しよう」と思っただけで、どうにもなるまい。プロジェクト、市場調査、商品開発、販売ルートの開拓等々、やらなければいけない。
人も、「タバコをすう」ってプロジェクトを実行してんだから、こんどは、「タバコをやめる」プロジェクトを実行しなきゃ、あかんやろ。
ふと、頭に浮かぶ「タバコをやめよう」ってのが、そもそも意思なんだろうか?いつもは、強固に「喫煙」というプロジェクトが実行されてるときに。
レコーディング・ダイエットってのは、このプロジェクトの、市場調査にあたるんだと、おもってんだけど、と、突如、ダイエットの話にもどします(笑)。
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コメント
喫煙者ですが、喫煙したくない時もあるし、敢えて禁煙席を選択することもあります。もちろん、タバコを嗜まない方には、許可を得るようにしています。特別に「禁煙」と思わなくても、禁煙すべき場所は、いくらでもあるので、いつの間にか忘れていることもあります。「意思」というよりは、「癖」のような感じでしょうか。(^^;)
「禁煙」がことのほかクローズアップされてきたのは、最近のこと。いわゆる「トレンド」かも。「健康ブーム」のような、時流に乗って禁煙するのではなく、ほんとうに「やめなければならない時」というのがきたら、あきらめるだろうな、とは思います。
太る体質というのが、根底にあるかもしれませんが、「やせなくては」と思うことがストレスになる場合もあるし、どうなんでしょうね。
心身は切り離して考えられないと思っているので、何事も「そこそこ」、程度問題だろう…なんて。いい加減でしょうか?
投稿: あかん隊 | 2008.04.04 11:52
□あかん隊さん、こんにちは。
そうなんですよ、昔、新幹線運営会社が、「禁煙席をもうけろ」という要求に、「そうすれば、喫煙される方の人権を侵害しますので、できません」って回答してました(1970年台?)。さまがわりしましたよね。私は、そのころ(1970年代)に禁煙したので覚えてるんですよ(笑)。
体重の減量は、目標達成って言うか、下げ止まりなんですけどね(^^;)
投稿: 悠 | 2008.04.04 16:26