西の魔女が死んだ
こころをいやすのは、自然。
ハーブをそだて、野いちごをつみ、ジャムをつくる生活。
山の中で、洗濯機をつかわないで暮らす。
ここで、登校拒否児の少女は、いやされてゆく。
でも、でもさ、でもさ、自然、見守ってくれる祖母をもたない、こころがあれた少年。少女はどうするのさ??
うまくできた映画でした。登校拒否の少女が、自然の中で暮らす祖母のもとで、祖母の愛のなかで、いやされてゆく。
でも、少女が、嫌う隣人==祖母がかう鶏をころし、祖母の山林を奪いにかかる=と疑う隣人が、じつは、祖母をしたう善き隣人だったとか。
祖母に育てられた母=職業をもち、自立している=母が、祖母をただ、信念のつよい人だと誤解しているとか。
たんなる、自然生活礼讃派でないのは描かれていますが。
だって、だって、もう、そういう自然にいやされて行くってのは、幻想ではないですかね。
都会の中で、都会のもので、精神の傷つきをいやして行くという物語じゃないと,現代に生きる、傷ついた少年・少女に対して有効ではないんでないかい、と思う、おいらでした。
「シロクマがハワイでなく、北極に住むことを選んだからってだれが責めましょ?」
って祖母の台詞に思わず笑った。おばあちゃん、そんな、理不尽な(^^;)
映画終ってみたら、泣いてられる方がおおいので、笑ってよかったんだろうか?
でしたけど。
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コメント
悠さんの最後のコメント、同感です。
こうしたお話は、しごく当然。「絵に描いた餅」。
「自然」っていう概念は、人間が考えたものでしょう? 何がほんとの「自然」なのか、考えてみる必要があると思ってます。(映画、観てないのですが)(^^;)
投稿: あかん隊 | 2008.06.29 01:02
□あかん隊さん、おはよう。
自然の中の生活で、登校拒否児がいやされていくってのは、「戸塚ヨットスクール」とおなじじゃん。と思ってしまうおいらです。
京都シネマでみたのですが、3回の上演とも満席でした。おいらが観た回でも、泣いてられる方おおかったです。
投稿: 悠 | 2008.06.29 08:19