日本語が亡びるとき@水村美苗
筑摩書房。今日朝日新聞の読書欄に書評がでてました。
昨日、河原町四条あたり歩きながらナイキの店をさがしていました。
店の看板をみていると、Pretty Powerだのをworld fashon だのというのがある。
カタカナで店鋪名をあらわすのを超えている、これだな、水村さんが、本でいってたのは。
先進国と接触するときに言語の影響をうける、だから、まだ、漢語が力をもっていたときは、漢語での翻訳、たとえば、演劇、哲学==それが、カタカナ、プレイ、フィロソフィ、==直接表記、play、philosophyとなる。
で、ここから本と離れてべつのことを考えていた。地理上の日本列島に住む人が、中華文明に接したときも同じことがおこったのではないかと。
わたしが日本固有のものと思ってるものでも,中華文明の影響をうけている、、、、
外国人が、日本人が寺院で仏像を拝んでいるとき、「なんで、君は外国の神像をおがんでいるのだ」と。そういえばそうだ。
弁天さんもインドの神だし(^^;)
この本で,水村さんが、フランスで、仏語で講演されたものが翻訳されている。これが、ほんとにわかりやすい文書なんですよ。
日本語の文書を一度、英語か、仏語かに翻訳してもらって,それを、さらに、日本語に翻訳してもらうと、読みやすい文書ができあがると思う。そういえば、ムラカミハルキの文章が、一度英語に翻訳して、それを日本語に翻訳してるような文書だ。
ハルキさんの本がよく読まれているのは、その文体に秘密があるかもしれない。
なお、水村さんは、「明暗」@漱石が、中断せず続いていたらと「続明暗」を書かれている。
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