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2019.03.31

「マスカレード・ホテル」@映画

なにもすることがないときは、映画をと。歩いて3分の映画館まで。で観たのが「マスカレード・ホテル」

長澤まさみがホテルの受付。木村拓哉が刑事。4つの殺人事件がある暗号で結ばれている、でも、それぞれ、は別々の犯人で、関連性はない。

原作 東野圭吾。キムタクは、いつもキムタクで、そこだけが不満かな(<だったらみるな)なんですけど。

盲目の女性客が出て来るけだけど、松たか子とは気がつかなかった。髪の毛で隠された顔は、樹木希林の若い頃に似てるなーなんて思って観てた(;;)。

自分の部屋がゴミ屋敷みたいになっていて、半日はものの整理で過ごす。ものの位置を変えると、あれって、次はいつものところにあるべきものがない(片付けたのだから当然だけど)で、それをどこにおいたか、探す作業が、、、、、、。

先週は、スマホを買い替えて、ここへアクセスしたかったら、暗証番号は?とか、聞かれる、、、、そんなの覚えてないっしょ(;;)。もう一度、前と同じように使えるようにするのに、四苦八苦してたし。これって、簡単にやってくれたええのになー。

友琵琶湖から海津大崎の桜を、何人かで、琵琶湖から出る船に乗って、眺めるんだけど、と、お誘いを受けたけど、その日は所用ありだった。

ジムで、ジョギイング(てっも時速4km)を先月から始めた。今日を外を走ったら4kmの距離を40分ほどで走れた。ってことは、時速6km。これなら、秋の市民マラソンに出られそう。

 

 

 

 

 

 

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映画

@「運び屋」クリント・イーストウッドがベトナム戦争に従事した退役軍人を演じている。彼が、麻薬の運び屋になり、大金を取得する。この運びを何回となく繰り返す。映画は、淡々と第何回めの運び、と表示される。いつかは捕まるだろうと、思いながらも、見ながら、やはり、ハラハラどきどきする。妻や家族とは疎遠になっている様子や、退役軍人会の仲睦まじい様子が対比的。

@「ROME/ローマ」1970年代のメキシコが舞台。家政婦と雇主の一家の日常が描かれる。家政婦と付き合っていた男性は、家政婦が妊娠すると行方をくらます。男性は、武術を学んでおり、日本の剣道を集団で学んでいる。韓国からの指導者が来るという会話があったので、韓国でも、剣道を学ぶ人がいたのだろうか。雇主の義母が、家政婦にベービーベッドを買うために店を訪れた際、外はデモ隊vs警察。突如デモ隊に襲いかかる団体の中に男性がいて、二人は一瞬の対面をする。このとき、家政婦は破水し、病院に運ばれる。雇主は離婚することになり、雇主の子供と母、家政婦で旅行し、海辺で、子らが溺れそうになるのを家政婦が助ける。と、いう日常を淡々と描いている。つい昔の邦画の趣がある。

@「天国でまた会おう」原作の小説は読んでいるんだけど、ストーリーは、あやふやになっている。でも、あれ、ここは、映画とは違うよな、って感じるところがあり、小説を読み直した。舞台は、第一次世界大戦とその後。どちらも面白っかったなー。「天国でまた会おう」は三部作で、これが第一部。本屋で第二部が出てるので、購入。これも文庫本(上)(下)と2巻ある。どちらも、「天国」の主人公の姉が第二部の主役。どちらも、大規模な詐欺が心地いい。

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2019.03.03

中島みゆき「夜会」20周年など

2月23日
元々は、渋谷「文化村」で10年間やっていて、その後会場が変わって、続けられてました。っても会場が代って時々開催されない年があって、やっと20周年。場所も結構いいところが取ってもらってます。
「テキーラを飲みほして」たって歌を石田匠さん(シンガーソングライター)が歌われてましたが、男歌で聞いても、この歌いいなーと思ってました。「野うさぎのように」みゆきさんが歌ってましたが、これもよかった。
カラオケ喫茶で、みゆきさんの歌を歌う人は嫌われてて、その原因が、一曲6分を超えるってな理由なのですけど。
上の歌なら3分程度のものだから、カラオケ喫茶で歌ってみるか(笑)

オペラ「ジークフリート」のゲネプロ鑑賞って機会があったんだけど、仕事が長引いていけなかった。平日に観賞するときは、1日仕事入れてはいかんなというのが反省。やなぎみわさんの「日輪の輪」も見損なったことがあるし、これで2回目。っても、もうじき毎日が日曜ってな日がやってるからーそれを楽しみに。

3月菅原直樹さん@oibokeshiのワークショップと講演@彦根文化プラザ
一度名古屋で、受けたことがあるのだけど面白かったので、もう一度。ワークショップの参加者は25人ほど。内男性は、5人。演劇で使われる、ゲームなどの後、認知症の人の介護を行うワークショップ。
認知症の人を、元の患う前の姿に戻すのが幸せか、そのまま受け入れるのがいいのか。認知症の人の誤りを正すのがいいのか、それとも受け入れるのいいのか。受け入れてしまうと、さらに認知の度合いが進むのではないのか?

「yes and」(自分の感情を抜きにして)相手の言葉を受け入れてみる。看護者「お昼ご飯の時間だから行きましょうね」
患者「わしぁ熊本へ行きたいんじゃ」看護者「熊本までいけませんよ」患者「知人が待っとるんだ」看護者「とにかくご飯ですから」、、、、、ってな会話。これより、一度受け入れて見て看護者「どなたが待ってるんですか」「それはあって話をしたいでしょうね」「でも、今から行くにしても、お腹すくからご飯食べてから」ってん流れにした方がいいのではないか。
それぞれ、看護者、認知症患者になって、体験してみました。
患者を体験して、私「あれ、したいことが思い浮かんでこない」??

看護者「おトイレいいですか」私(患者)「トイレも窓から外へ出たいだけど、手伝って欲しい」ってのが精一杯。うん、イメージが飛躍せんな(;;)

この間読んだ本に「インプットよりアウトプット」が大切って書いてたんだけど。今までは、逆だったしな〜。

見た映画「12人の死にたい子どもたち」(連続TVドラマ「派遣の占い師アタル」観てますが、その杉咲花さんも出てました) 「七つの大罪」(野村萬斎)どちらも面白かった。「サムライマラソン」(以前見た、「ジャズ大名」と同じく江戸時代末期。)

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